裁きと回復の預言

2018年12月 02日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ミカ書5章1~9節
5:1 今、軍隊の娘よ。勢ぞろいせよ。とりでが私たちに対して設けられ、彼らは、イスラエルのさばきつかさの頬を杖で打つ。
5:2 ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
5:3 それゆえ、産婦が子を産む時まで、彼らはそのままにしておかれる。彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰るようになる。
5:4 彼は立って、【主】の力と、彼の神、【主】の御名の威光によって群れを飼い、彼らは安らかに住まう。今や、彼の威力が地の果てまで及ぶからだ。
5:5 平和は次のようにして来る。アッシリヤが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対して七人の牧者と八人の指導者を立てる。
5:6 彼らはアッシリヤの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリヤが私たちの国に来、私たちの領土に踏み込んで来たとき、彼は、私たちをアッシリヤから救う。
5:7 そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、【主】から降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みをおかず、人の子らに期待をかけない。
5:8 ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎては踏みにじり、引き裂いては、一つも、のがさない。
5:9 あなたの手を仇に向けて上げると、あなたの敵はみな、断ち滅ぼされる。

<要約>
絶望の中に来られる救い主;
当時の状況を見ると、大国アッシリヤが目前に迫り、イスラエルの民にとって脅威が最高潮に達していた時であります。絶望と思われている時代背景の中で救い主の登場が預言されています。イエス様がお生まれになった時代も、イスラエルの民はローマの圧政のもとに非常な困難の中にあったということです。救い主は、混迷とやみが覆う時代に来られたのです。個人レベルでも民族レベルでも国家レベルでも、困難や試練で絶望することはあるかもしれません。しかし、その中でこそ、私たち人間は救い主をお迎えするにふさわしく整えられるのです。その時にこそ、救い主があなたに近づいていることに気付くことです。
救い主が与える平安;
アッシリヤの王セナケリブが南ユダ王国に攻め入ろうとしました。その時、ユダの王ヒゼキヤが主に祈ったのです。主は大いなる御手により、主の使いが一夜にして、アッシリヤの軍隊、十八万五千人を打ち殺しました。そのようにして、主が戦ってくださったのです。一般の人々にとって敵対する勢力とは何でしょうか。仕事上の反対勢力、こちらを好意的に思っていない人々、わなを仕掛けて陥れようとしている人々、悪い友人、悪い噂、分裂もあるかもしれません。あるいは、自分の内側にある利己的な思い、支配欲など。しかし、クリスチャンは、それらの背後にある敵を知っています。あらゆる悪とその背後にある敵です。救い主キリストはそれらから信じる者を救ってくださるのです。そして、真の平安をお与えくださいます。
最後まで忠実な信仰者の姿;
ヤコブの残りの者は、最後まで信仰により神とつながっている人々を指します。一つは、彼らは多くの国民の中でも主から降りるつゆ、青草に注ぐ夕立の様だというのです。彼らは人を恐れないで、神を畏れます。人間に期待をしないで、神に期待します。これこそ、真の信仰者と言えます。もう一つは、圧倒的な勝利者であるということです。ヤコブの残りの者は、信仰者は森の獣の中の獅子、百獣の王ライオンです。圧倒的な勝利です。サタンも踏みにじられます。教会の勝利と言えます。それは、終末的な勝利とともに、現在においてもしかりです。

 

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です