未経験と非常識の世界

2018年10月 14日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ルカの福音書5章1~11節
5:1 群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、
5:2 岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。
5:3 イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。
5:4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。
5:5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
5:6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。
5:7 そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。
5:8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った。
5:9 それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。
5:10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」
5:11 彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。
<要約>

暗やみが深いほど福音の光は強い

イエス様の宣教開始は、イザヤ9章の預言に紹介されているように、「暗やみと死の地と死の影に座っていた人々に、光が照った」と言うことで紹介されています。暗やみと死と表現されている状況の中で、光が来た、と言うことです。それは、暗やみが光に変わり、死がいのちに代わる、絶望が希望に代わる、悲しみは喜びに代わることです。絶望的なマイナスが、希望に輝くプラスに代わった、と言うことです。イエス様の福音は、闇が深く、絶望にある人ほど、そして、死の恐怖を強く感じている人ほど、福音の光は強く照らしていると言えます。目の前の闇が深ければ深いほど、後ろを照らす太陽の光は強いのと同じです。ですから、もし皆さんが、今、悲しみにあるならば、幸いです。また、もし罪を深く感じているのなら幸いです。希望を失っているのなら、幸いです。足りなさを感じているのなら幸いです。慰められ、赦され、満たされるからです。イエス様の福音は、あなたを死の滅びから救い出して、御国に招き入れ、神のいのちの中でとこしえの幸いをお与えくださるからです。

一歩を踏み出すとみことばが成就する

イエス様はシモン・ペテロをご覧になりました。そして、言いました。「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と。ペテロは、夜どおし働いても一つもとれませんでしたが、「でもおことばどおり」と言って従ったのです。この「おことば通りに一歩踏み出します」「たといそうでなくても従います」という言葉は、信仰のキーワードです。ペテロは「おことば通り網を下してみましょう」と言って、信仰の第一歩を踏み出して、この後、大いなる神との出会いを経験するのです。私たちは自分の経験や常識といわれるものによって第一歩を踏み出せないでいることはないでしょうか。み言葉はわかっている、しかし、そんなことは信じられないといってないでしょうか。「その通りにすると」たくさんの魚が入り、網が破れそうになりました。「その通りにすると」神のいわれたこと、みことばの通りに従うと神を経験するのです。それは、人間の経験や常識では推し量ることができない神のわざが起こったのです。ペテロをはじめその他の漁師はものすごい感動を経験したのではないでしょうか。私たちもその感動を追体験しています。みことばが成就するという体験をします。

人生の最大の発見、神との出会い

信仰生活は、未経験と非常識の世界です。それは驚きと感動に満ちている世界です。あなたの信仰生活はそのような驚きと感動で満ちていますか。ペテロは言いました。「主よ。わたしのようなものから離れてください。私は罪深い人間ですから」そして、主の足元にひれ伏しました。神の聖さに触れて、自分の罪が鏡のように映しだされるのです。罪が分からないという人は、神に心を閉ざしている人です。聖霊が心に触れるとその聖さのために自分の汚れに気付くのです。暗い部屋に窓から光が差し込む小さな誇りや汚れが見えるのです。同様に、聖霊が光となってあなたの心を照らすと心の罪が見えてくるのです。しかし、遮光カーテンを閉めて、聖霊に心を閉ざしている人は自分の罪が見えないのです。聖霊様に正直な心でいたいです。ペテロはイエス様の足元にひれ伏しました。彼は降参したのです。もうお手上げです。あなたに負けました。太刀打ちできません。圧倒的な神の力を経験したのです。今まで、しがみついてきた自分自身、そこによりどころを失ったのです。自分で何とかしようとあがいていたことが無益であったことに気づいたのです。ここで初めて、彼は、自分の心の王座から降りました。そして、イエス様に座っていただいたのです。これが、神との関係が正される瞬間です。かくして、ペテロは神との本当の出会いを経験し、何もかも捨ててイエス様に従ったのです。ペテロはこの出会いによって、人生が180度変わりました。私たちもこれまで、多くの出会いを経験してきました。ある人と出会ったためにあなたの人生は良い方向へ変わったということはないでしょうか。背後にイエス様がおられたのです。人生は出会いで決まるといった人がいます。人は人によって成長し、信頼によって人は変えられるのです。イエス様のまなざしは変わることがありません。赦しと信頼のまなざしなのです。私たちもイエス様を真の主として信頼し続けていきましう。

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