皮の衣

2018年08月 26日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記3章1~15節
3:16 女にはこう仰せられた。「わたしは、あなたのうめきと苦しみを大いに増す。あなたは、苦しんで子を産まなければならない。しかも、あなたは夫を恋い慕うが、彼は、あなたを支配することになる。」
3:17 また、人に仰せられた。「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。
3:18 土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。」
3:20 さて、人は、その妻の名をエバと呼んだ。それは、彼女がすべて生きているものの母であったからである。
3:21 神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作り、彼らに着せてくださった。
3:22 神である【主】は仰せられた。「見よ。人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、彼が、手を伸ばし、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きないように。」
3:23 そこで神である【主】は、人をエデンの園から追い出されたので、人は自分がそこから取り出された土を耕すようになった。
3:24 こうして、神は人を追放して、いのちの木への道を守るために、エデンの園の東に、ケルビムと輪を描いて回る炎の剣を置かれた。

<要約>

呪いとしての人生

アダムの罪により、人は完全に堕落してしまいました。彼らは罪によって呪われたものとなってしまいました。女性に対しては、うめきと苦しみです。その内容の一つが、苦しんで子を産むということです。出産にかかわる苦しみです。女性は、妊娠すれば、つわりなど肉体の苦しみがあります。また、お産の時は陣痛を経験します。次に、女性は夫となる人をしたい求めるが、夫からは支配されるというのです。そこに生じるのが力関係です。すなわち、女性は男性から力で支配されるのです。堕落まえは、支配される関係ではなく、愛と信頼の関係があったと思います。妻は夫に従い、夫は妻を愛するのです。そこには人格的な関係があり、力で相手を利用するということはありません。次に、男性の方です。自然界は、アダムの罪により呪われます。土地はアザミと茨を生じさせて、食を得るためには苦しまなければなりません。労働は食べるためであり、それには困難と苦しみが伴います。「私たちの齢は七十年。健やかであっても八十年。しかも、その誇りとするところは労苦とわざわいです。それは早く過ぎ去り、私たちも飛び去るのです。」人生では労苦とわざわいを経験し、ついには土にかえるのです。それが、悪魔の支配下にある人の歩であると言えます。

神の恩寵と祝福の人生

アダムは、死の決定を受けた後、エバが多くの子孫の母となることを悟りました。すなわち、自分たちが、いのちを繫いでゆく存在であることを自覚しました。そして、神は彼らのために動物を殺して、その皮を用いてアダムとエバに着物をつくられました。これは、私たちのために十字架で神の子羊となって血を流してくださったキリストの尊い犠牲を暗示しているとも言われています。またこれは、この後、人が動物のいけにえを捧げて、神に近づくことのしきたりに通じています。すなわち、罪によって、人はだれも神に近づくことはできないからです。モーセの時代になって、神は民に律法をお与えになりました。律法によると、人は、動物の犠牲によって罪の赦しを得ることができるのです。すなわち、自分の罪を傷のない清い動物の頭に着せてその動物を殺して血を流すことで、祭司から罪の赦しが宣言されます。罪の赦しのために繰り返し流された血は、とき至って現れたキリストの十字架で流される血を予表していました。やがて、キリストの十字架による完全な罪の赦しが成就することになります。次に、神は、人間を環境から守るために動物の皮で着物をつくり与えてくださったと言えます。エデンの園から追い出された人間には、いばらとアザミが待っていました。すなわち、自然界は裸の人間には危険であることが示唆されます。寒さから体を守る必要もあったでしょう。これ以降、人間は自然界の動植物を自分たちの福利のために用いるようになりました。シェルターとなる家も必要でしょう。また、土地を耕すための道具も必要となったでしょう。そのために、様々な器具をつくるようになりました。そのように人間社会には文化、文明が芽生え、発展していくのです。それは、人が自然界を自分たちの福利のために用いることができるようになさったのです。皮の衣は、神からの恩寵です。プレゼントです。現在、私たちは神から多くのプレゼントをいただいています。あまりにも多くあり、当たり前になっているのです。私たちが毎日食に与り、住む場所も与えられていること、それも神の恩寵です。主の祈りで、「日毎の糧を今日もお与えください」と祈ります。日ごとの糧は、小教理では、私たちの身体や生活のために必要なすべてのもののこと、とあります。アダムとエバを守り祝福するために、神が動物の皮の着物を与えられて以来、その恩寵は発展して人類の福利になっております。アダムとエバは、彼らの子どものためにそして子孫のために働くことになりました。それは、人が他の人のために奉仕していくことの原型です。クリスチャンは、神からそれぞれに賜物が与えられて、それで隣人に仕えることに召されているといえます。イエス様が命じられた隣人愛の実践です。「自分と同様にあなたの隣人を愛しなさい」という戒めです。神はこの地上で人が幸せに生きるためにこの地を住みよいものにしてくださっています。これは、地上に神の恵みが及んでいるからです。それは、すべての人に注がれる神の恩寵と祝福です。神が私たち人間を愛してくださったように私たちも互いに愛し合うことが神のみ心なのです。私たちクリスチャンは神の愛を隣人に届けるように召されているからです。

断絶と回復の希望

人は、神の戒めを破って、善悪の知識の木からとって食べました。そして、神から断絶されるのです。人が、神を押しのけて、自ら善悪の判断をするようになったのです。それは越権行為です。ボーダー、境界線を越えたことによる彼らの罪です。それに対しての対価は、エデンの園から追放でした。罪がもたらしたものは、断絶された神との関係です。エデンの園から追い出された人間が、勝手に戻ってこられないように、神はケルビムという天使に園の入り口を守らせました。「いのちの木からとって食べ、永遠に生きないように」と神は言われました。それは、神との関係を絶ったものは永遠のいのちを失うことを示しています。人は、やがて土に帰ります。そして、神と断絶された魂は、永遠の滅び、永遠の暗黒へと落とされるのです。永遠のいのちとは、永遠でおられる神のいのちにつながっていること、すなわち、神との交わりに生きていることです。しかし、神は人を惜しんで、関係回復を願っておられます。神は、人が罪を犯して堕落してしまったすぐ後に、原始福音と言われるやがて来られるキリストを暗示されました。それは、壊れてしまった神との関係回復の道です。罪を犯す前にあった愛と信頼の関係です。神との関係回復は、やがて来られるキリストの十字架の贖いにより成就しました。キリストが信じる者の罪を取り除いてくださいます。そして、神と人の隔ての壁を取り除いてくださるのです。サタンの支配から神の支配に移してくださるのです。旧約の時代に生きた人々も信仰によって救われました。へブル11章は、そのことを証しています。 旧約時代の人々は、その時は神の約束を受け取ることはできなかったのですが、神が備えてくださった「さらにすぐれたもの」を待ち望んでいました。それは神のご支配、天の御国ということができます。天のみ国は、女の子孫であるイエス・キリストが治める国です。それは原始福音にみられる救い主の約束です。イエス・キリストです。旧約時代の人々については、新約の私たちのように、イエス・キリストの救いをはっきりと今、受け取ることはなかったといえます。でも、彼らも私たちと同様に、イエス・キリストにより罪の赦しを受け天の御国へ移されたのです。そのことは、アブラハムを例に見ることができます。アブラハムはまだ、キリストを見ていませんでしたが、信仰によって義とされたことが書いています。彼に与えられたのは、神のことばでした。神の約束でした、しかし、「あなたは大いなる国民とされる」、「あなたによってすべての民族は祝福される」というようなことは彼の存命中には何一つ実現しませんでした。しかし、彼は神の国の到来と救い主の来臨を信じて一生を全うしました。自分の目の前の状況がたとえ開かれなくても信じて待ち望み、人生を全うしたのです。回復の希望は、神の愛への信頼、神のことばへの信頼、にあるからです。

 

 

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