アベルの信仰とカインの罪

2017年5月28 日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記4章1~16節
4:1 人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、【主】によってひとりの男子を得た」と言った。
4:2 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
4:3 ある時期になって、カインは、地の作物から【主】へのささげ物を持って来たが、
4:4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。【主】はアベルとそのささげ物とに目を留められた。
4:5 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。
4:6 そこで、【主】は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
4:7 あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」
4:8 しかし、カインは弟アベルに話しかけた。「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。
4:9 【主】はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」
4:10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。
4:11 今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。
4:12 それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」
4:13 カインは【主】に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。
4:14 ああ、あなたはきょう私をこの土地から追い出されたので、私はあなたの御顔から隠れ、地上をさまよい歩くさすらい人とならなければなりません。それで、私に出会う者はだれでも、私を殺すでしょう。」
4:15 【主】は彼に仰せられた。「それだから、だれでもカインを殺す者は、七倍の復讐を受ける。」そこで【主】は、彼に出会う者が、だれも彼を殺すことのないように、カインに一つのしるしを下さった。
4:16 それで、カインは、【主】の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。
<要約>

神は心を見られる

主はアベルの捧げものに目を止められ、カインの捧げものには目を止められませんでした。

神は二人の捧げる態度と心を見ておられたのです。「人はうわべを見るが主は心を見られる」と書いてある通りです。アベルの心の姿勢は、最上のもの、自分にできる最高の捧げものです。すなわち、献身のしるしとしての捧げものです。自分の上に主を置いている姿勢です。

それに対して、ここに書かれていませんが、カインの心は、神に喜ばれないものでした。それは、神を最上のお方としなかったのです。自分の下に神を置いたともいえます。神は創造主です。万物を造り、わたしたち人間をおつくりになり、ご自身の栄光と尊厳を表されました。そのような方を私たち人間は、恐れるべきです。神は、なぜ、顔を伏せっているのか、と言ってカインに声をかけています。これは、彼に悔い改めのチャンスを与えておられるのです。しかし、カインは神の忠告を聞きませんでした。そして、弟アベルを殺すのです。外面的には同じように、自分の収穫の一部をもって捧げものにしたのですが、心の内面では、全く違う捧げものをしていたのです。神はささげる者の心を見ておられます。創造主である神の私たち人間への要求は昔も今も変わりません。申6:5「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、【主】を愛しなさい。」そして、神を恐れ、愛し、信頼することです。

罪の負債と贖いの十字架

カインは神に受け入れられなかったことに怒り、また、弟をねたみ、さらに憎しみが殺意となり、ついには殺人を犯しました。神は再び、カインに迫ります。「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と。それにもかかわらず、カインは悔い改めることもなく、知らないと白を切るのでした。神は「あなたの弟の血が、その土地から私に叫んでいる」と言われました。これは、罪が償いを求めているということです。罪は代価を求めます。人のいのちには人のいのちで払わなければなりません。それが、正当な代価といえます。アベルの血の代価は、殺人者カインの血で払わなければなりません。しかし、神は、カインが殺されないように、彼に一つのしるしを与えられました。彼に出会う人々が彼を殺さないようにさせたのです。神はここで、殺人の連鎖が起きないようになさったのです。また、主は罪深いカインを哀れまれました。神は哀れみの神です。どんな大きな罪、咎でも主は私たちの代わりに、になってくださるというのです。人間は正しく人を裁くことができません。神のみが正しい裁きを与えることができるのです。ですから、復讐してはいけないと書いています。罪からくる報酬は死です、とあるように、罪の負債は死をもって支払うほかないのだ、と聖書は言います。そして、人には根源的な罪があります。それは、人が神を無視して自分の人生を生きることです。もし、あなたが、神より自分を優先して生きているなら、そこに根源的な罪があります。罪は神への債務証書であるといえます。それを、十字架にくぎ付けにされたと主は仰せになりました。神は、カインばかりでなく、すべての人の債務証書を十字架の上で無効にされました。神が用意されたのはキリストの十字架です。キリストがすべての人のすべての罪の債務をゼロとしてくださったというのです。どのようにでしょうか。神は正しくさばかれるお方です。殺人には殺人で報いなければなりません。しかし、神は人を惜しんでおられます。神はあなたを愛しておられます。そこで、神はその一人子で全く罪のないイエス・キリストに人類、そしてあなたの罪を着せて代わりに十字架で殺したのです。もはや、罪に責められることはないのです。イエス様は十字架の上であなたの罪の負債を全部取り除いてくださいました。「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」にある通りです。それには、あなたが罪の赦しのプレゼントをただ受け取るだけでいいのです。

信じて義とされた者の証

アベルは、その捧げものによって、彼の信仰が証されて、信仰による義を得たということです。それに対して、カインは悔い改めて神に信頼を置いて歩むということをせず、俗悪なもの、殺人者として数え上げられました。神の哀れみにすがることもなく、信仰に至ることもなかったようです。大変残念な人生を送ったと思われます。捧げものがアベルを義としたのではありません。神はアベルのその心を見られたのです。捧げものによって、神の心を惹こうともくろんだのではありません。すべての収穫を与えてくださる神に感謝と喜びと賛美の心からアベルはそのような行動に出たのです。アベルは見返りを期待しません。おそらく神の応答も期待していなかったでしょう。ただ、神を見上げているのです。また、アベルは最初の真の礼拝者であったといえます。パウロは真の礼拝について述べています。「あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。」それは、心から混じりけのない思いをもって自分自身を神にささげることです。私たちもイエス様を信じる信仰によって義とされた者たちです。あなたは贖われて、聖いものとされました。その義をもって、神を愛し隣人に仕えていきたいと思います。

 

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