狭い門から入りなさい

2019年1月20日(日) 主日礼拝 礼拝説教 森田友明牧師

<聖書>ルカの福音書13章22~30節
13:22 イエスは、町々村々を次々に教えながら通り、エルサレムへの旅を続けられた。
13:23 すると、「主よ。救われる者は少ないのですか」と言う人があった。イエスは、人々に言われた。
13:24 「努力して狭い門から入りなさい。なぜなら、あなたがたに言いますが、入ろうとしても、入れなくなる人が多いのですから。
13:25 家の主人が、立ち上がって、戸をしめてしまってからでは、外に立って、『ご主人さま。あけてください』と言って、戸をいくらたたいても、もう主人は、『あなたがたがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。
13:26 すると、あなたがたは、こう言い始めるでしょう。『私たちは、ごいっしょに、食べたり飲んだりいたしましたし、私たちの大通りで教えていただきました。』
13:27 だが、主人はこう言うでしょう。『私はあなたがたがどこの者だか知りません。不正を行う者たち。みな出て行きなさい。』
13:28 神の国にアブラハムやイサクやヤコブや、すべての預言者たちが入っているのに、あなたがたは外に投げ出されることになったとき、そこで泣き叫んだり、歯ぎしりしたりするのです。
13:29 人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。
13:30 いいですか、今しんがりの者があとで先頭になり、いま先頭の者がしんがりになるのです。」

<要約>

狭い門はイエスを信じ従う道:

当時のイスラエル民族にはメシヤ待望がありました。ローマの圧政からの解放者、すなわち政治的な救世主を待ち望んでいました。そのメシヤは王となって国を立て直してくださると期待していました。そのような時に、ある人が「主よ。救われる者は少ないのですか」とイエス様に問うたのです。彼の質問はイスラエル国家の救いではなく、救われる者、個々人の救いについての質問だったからです。そうです。イエス様は政治を変革するために来たのではないのです。イエス様が提供される救いは、もっと人間の根源的な救いです。それはすべての人が抱えている問題です。罪と死の問題です。いのちに至る門の先には、天国があり、救いと祝福があるのです。狭い門はイエス・キリストを信じて従う道のことです。

救われるための努力とは:

戸が閉じられてから、外に立って、いくらたたいても、主人から「あなた方はどこの者か、私は知らない」と言われるというのです。「努力して狭い門から入りなさい」とイエス様は言われました。救われるための努力とは何でしょうか。それは、信仰の姿勢であり態度です。謙遜に、へりくだってキリストに従うことです。先週も説教したように、何よりも神を恐れ、愛し、信頼することです。私たちはこの地上の生活だけを求めて生きているのでしょうか。人生80年です。この地上のいのちが与えられている間にだけ、永遠のいのちか滅びかを選ぶことになるのです。救われるための努力をしなければなりません。

狭い門に続く救いの確信と祝福:

この狭き門からあなたが入るならどんなことがあなたにもたらされるのでしょうか。それは、救いの確信です。なぜなら、キリストが救いの道を完成してくださったからです。それをあなたは信じて受け止めれば救われるのです。次に聖霊の祝福です。聖霊はあなたの傷を癒してくださいます。狭い道であっても命に至る道です。踏み外さないように聖霊が信じるものを支えてくださいます。いまある状況をあなたが感謝できるということはあなたが祝福の中に生きているからです。また、どのような状況でもあなたが感謝するときに状況は祝福に変えられていくのです。そして、喜びあふれるものとなるのです。