キリストの昇天

2017年4月30 日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>使徒の働き1章3~14節
1:3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
1:10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
1:11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
1:12 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。
1:13 彼らは町に入ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
1:14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。
<要約>

神が主権をもって定めていること

イエス様は、十字架と復活を中心とした、福音について、また、これからの宣教活動について、弟子たちに教えたのでしょう。また、旧約聖書に預言されていたご自分の生涯について解き明かされたのです。弟子たちはイエス様の復活の証人として宣教しました。そして弟子が弟子を生みました。その時から二千年の歳月が過ぎていますが、聖書は決して廃棄されることのない書物です。なぜなら今も世界中の人々に神のメッセージを語り続けているからです。みことばは必ず成就します。十字架の言葉は救いを得させる神の力です。とパウロが語った通りその効力は薄くなっていくことはありません。福音によって、今も、多くの人々が死から命に移され、絶望がしぼむことのない希望に、苦しみが感謝に、悲しみが喜びに変えられています。これこそまさに福音の力なのです。「エルサレムを離れないで、父の約束を待ちなさい」と。父の約束とは、聖霊が来られるということです。弟子たちは、「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」とイエス様に問いました。弟子たちはまだ、ユダヤ民族の救い主としてのイエス様に期待を抱いていたようです。彼らにはまだ、神の国が理解できなかったのです。それに対してイエス様は、やがて来る神の国は、父なる神の主権の中できめられているので、いつどんな時かは、あなたがたは知らなくてよいのだというのです。十字架も復活も歴史的事実です。そして、神がたてられた人類救済のご計画は、現在進行形で進んでいます。神が主権をもって定めていることは、現在に至り、今、ここであなたに及んでいるということです。皆さんお一人お一人は神の人類救済のご計画のうちに組み込まれています。ですから、私たちは、ますます、神を恐れ、愛し、信頼していきましょう。

聖霊が臨まれた結果

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

聖霊が臨まれるとき力を受けます。イエス様が去って行った後に、天より聖霊が臨みます。それはペンテコステに起こった神のわざです。聖霊は霊ですから目に見えません。でも、聖霊はその働きとしてみることができます。風は見えないけれども、木の枝が揺れることにより、風があるのがわかるというのです。同様に、聖霊は見えませんが、聖霊によってイエス様を信じて新しく生まれた人を見ると聖霊がおられるのがわかるのです。ですから、聖霊はその働きによって知ることができます。聖霊が与える力とは何でしょうか。「イエス様の証人」となる力です。キリストの十字架による罪の赦しと復活によって与えられたいのちがあります。そして、それは体験したもののみが明かすことができます。聖霊によって生まれたもののみが福音を知らせることができるのです。イエス・キリストの十字架と復活の証人となること。これが福音宣教であり、神の国の到来です。そして、全世界に福音が伝えられています。また、聖霊の力は、敵をも愛する十字架の力です。また、聖霊の力は殉教をも恐れない力です。そのように聖霊が皆さん一人一人に臨まれた結果は、何でしょうか。それは、皆さんがイエス・キリストの十字架と復活の証人として生きることです。具体的には、皆さんがイエス様の心をいただき隣人に対して、小さなキリストとなるのです。

イエス様の昇天と再臨の希望

弟子たちは天を見つめていました。雲に包まれて見えなくなったイエス様がまた、現れるのではないかと見ていたのでしょう。その時、白い衣をまとった二人の天使が言いました。「天に昇って行かれるのをあなた方が見た時と同じ有様で、また、おいでになります。」と。これは、再臨の約束です。イエス様は今、神の右に座しておられます。これは、天においても地においてもすべての権威を握っておられるということです。昇天された後、イエス様が不在になったのでしょうか。否、マタイ福音書によると、イエス様は昇天の時に、いつまでもあなた方とともにいると約束されました。イエス様は教会におられます。信者が二人三人いるところにおられます。聖餐式のパンとブドウ液とともにおられます。イエス様は、偏在の主です。どこにでもおられます。そして、信者の祈りを聞いてくださいます。父なる神にとりなしをしていてくださいます。再臨の時には、キリストは公平な審判者としてこられます。裁判官は、法に照らし、ある人を無罪、ある人を有罪と定めます。それが審判です。キリストはすべての人の全生涯を律法でさばきます。それは、行いばかりでなく、心のはかりごとまで全てを含みます。どんな罪にも神は怒りを持っておられます。み怒りの日には、だれがそれに耐えられよう、と書いています。でも、ご安心ください。神は、世を愛し、あなたが滅びてしまうのを惜しまれ、罪を取り除くために一人の御子キリストをお与えくださいました。そして、罪のないキリストをあなたの身代わりとして十字架につけ断罪しました。それゆえ、御子の十字架のあがないによりあなたのすべての罪は赦されて、神のいのちが与えられます。神は、イエス様の十字架と復活の証人である私たちを用いて全世界に宣教なさいます。教会はそのために建てられたのです。再臨は、信じる者にはこの上もない祝福と決して奪われることのない喜びなのです。

 

復活はいのちの約束

2017年4月16 日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ヨハネの福音書20章1~18節
20:1 さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。
20:2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛された、もうひとりの弟子とのところに来て、言った。「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」
20:3 そこでペテロともうひとりの弟子は外に出て来て、墓のほうへ行った。
20:4 ふたりはいっしょに走ったが、もうひとりの弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
20:5 そして、からだをかがめてのぞき込み、亜麻布が置いてあるのを見たが、中に入らなかった。
20:6 シモン・ペテロも彼に続いて来て、墓に入り、亜麻布が置いてあって、
20:7 イエスの頭に巻かれていた布切れは、亜麻布といっしょにはなく、離れた所に巻かれたままになっているのを見た。
20:8 そのとき、先に墓に着いたもうひとりの弟子も入って来た。そして、見て、信じた。
20:9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかったのである。
20:10 それで、弟子たちはまた自分のところに帰って行った。
20:11 しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
20:12 すると、ふたりの御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、ひとりは頭のところに、ひとりは足のところに、白い衣をまとってすわっているのが見えた。
20:13 彼らは彼女に言った。「なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに置いたのか、私にはわからないのです。」
20:14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。
20:15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、それを園の管理人だと思って言った。「あなたが、あの方を運んだのでしたら、どこに置いたのか言ってください。そうすれば私が引き取ります。」
20:16 イエスは彼女に言われた。「マリヤ。」彼女は振り向いて、ヘブル語で、「ラボニ(すなわち、先生)」とイエスに言った。
20:17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。わたしの兄弟たちのところに行って、彼らに『わたしは、わたしの父またあなたがたの父、わたしの神またあなたがたの神のもとに上る』と告げなさい。」
20:18 マグダラのマリヤは、行って、「私は主にお目にかかりました」と言い、また、主が彼女にこれらのことを話されたと弟子たちに告げた。
<要約>

十字架と復活の意義

日曜日の早朝、マグダラのマリヤはイエス様のご遺体に香油を塗るためにやってきました。そうしたら、墓の石が転がしてあり、墓の入り口が開いていました。墓の中にイエス様の遺体がないことに気づいたマリヤはすぐに弟子たちのところに走って行きました。それを聞いたペテロとヨハネは走って墓に向かいました。彼らは墓に入り「見て、信じた」と書いています。誰もイエス様のご遺体に触れた形跡がないことから主の体は復活されたことを信じたのでしょう。しかし、彼らは、イエス様の十字架と復活の意味や内容をまだ理解していなかったのです。二人はそのまま、エルサレムの隠れ家に帰っていきました。彼らはイエス様のおっしゃったことがその通りになっているのをその目で見て信じたのです。しかし、イエス様の十字架と復活の意味、そしてそれがもたらすものをまだ、理解していませんでした。彼らを含めてイエス様の弟子たちは、イエス様が民をローマの圧政から解放する政治的な救い主として、ユダヤ人の王として期待していました。だから、イエス様がエルサレムへ上る道々で、ご自分が十字架につけられて死んで三日目に復活するというのを聞いても何のことかわからなかったのです。人間の持つ固定観念、先入観は神の言葉を見えなくさせます。弟子たちもそうでした。イエス様の十字架と復活の意義がまだ、よくわかっていなかったといえます。ペンテコステの時にエルサレムで祈っていた弟子たちに聖霊が下りました。聖霊は、彼らの心を開き真の知識に至らしめます。イエス様が言われた言葉を思い起こし、その意味を悟ったのです。また、旧約聖書の預言の言葉に目が開かれたのです。そこで、イエス・キリストの救いが、罪と死と悪魔からの救いであるという理解に至るのです。イエス様の十字架の死は、あなたや私の罪をあがなうためであり、復活は、あなたや私が朽ちることのないいのちに生きるためなのです。それが福音でありグッドニュースです。

名を呼んで近づいてくださる主

二人の弟子は帰りましたが、マグダラのマリヤは再び戻ってきました。そして、墓のところにたたずんで泣いていました。そして、泣きながら体をかがめて墓の中を覗き込みました。二人の天使はマリヤに「なぜ、泣いているのですか」と問うています。マリヤは、「誰かが私の主をとっていきました。」と答えました。マリヤは依然、イエス様の復活のことは全く頭になかったようです。その時、背後に人を感じたのでしょう。後ろを振り向きました。そこに立っているイエス様を墓の管理人だと思ったのです。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」それでも気づかずに、自分は主のご遺体を引き取るので、どこに置いたか教えてくださいというのでした。イエス様は「マリヤ」と名前を呼びます。マリヤはイエス様と気づいたのです。ここに、ヨハネは、復活されたイエス様が最初にお会いになったのはマリヤであること。そして、彼女にその名を呼んで近づかれたことを記しています。なぜ、イエス様は最初にマリヤにご自身を表されたのでしょうか。イエス様の誕生の知らせは最も貧しく最も低い羊飼いたちに届けられました。復活の喜びの知らせは、最も卑しい罪深さを自覚している女性でした。これは、神が、最も貧しく、最も卑しめられている、最も見下されている人を大切に思われているからです。また、ヨハネは、羊のために命を捨てる良い羊飼いのようにイエス様はあなたやわたしの名を呼んで近づいてくださる方であることを教えています。

復活がもたらしたこと

復活のイエス様と面と向かってお会いしたマリヤは、喜びのあまり思わずすがり付きました。マリヤに対して、イエス様は「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないからです。」とマリヤを制しました。イエス様はこれから天の父である神のみ元に昇らなければならないと言葉を続けます。それには二つの理由があります。一つは、聖霊が来てくださるためです。イエス様の昇天の後、ペンテコステの時に弟子たちに聖霊が下りました。ペテロはエルサレムで人々に悔い改めて、イエス・キリストを信じるように説教をしました。そこで大勢の人々がイエス・キリストを救い主と信じて洗礼を受けました。エルサレムで最初の教会が誕生したのです。聖霊は、私たちの心を照らし、罪を示されます。聖霊は聖書の言葉が理解できるようにし信じる心を与えてくださいます。聖霊は私たちをイエス・キリストのところへ連れて行ってくださいます。聖霊は三位一体の神です。もう一つは、イエス・キリストが父なる神に近づく人々のとりなしをするためです。私たちが日々犯す罪をサタンは神に訴え続けています。しかし、イエス様は信者の罪をご自身の十字架のゆえに赦すように神に働きかけています。それがとりなしです。神はイエス・キリストを仲介者として信者を取り扱われます。神のみ子キリストのとりなしにより、信者には良いことしか及ばないのです。復活によってもたらされたことは何でしょうか。それは、キリストにより復活のいのちはすべて信じる者に無代価で与えられるということです。信じる者は罪赦されて永遠のいのちにあずかることができます。また、信じて洗礼を受ける者には聖霊が与えられます。聖霊はあなたの人生の歩みに光を当て、行くべき道を示してくれます。また、イエス・キリストの十字架と復活の証人としてあなたを立ててくださいます。素直な心で主イエスをあなたの心にお迎えすることです。

 

神の人類救いの計画

2017年4月9 日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢執事 崔宰誠

<聖書>ヨハネの福音書18章28~40節
18:28 さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。時は明け方であった。彼らは、過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして、官邸に入らなかった。
18:29 そこで、ピラトは彼らのところに出て来て言った。「あなたがたは、この人に対して何を告発するのですか。」
18:30 彼らはピラトに答えた。「もしこの人が悪いことをしていなかったら、私たちはこの人をあなたに引き渡しはしなかったでしょう。」
18:31 そこでピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。」ユダヤ人たちは彼に言った。「私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。」
18:32 これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった。
18:33 そこで、ピラトはもう一度官邸に入って、イエスを呼んで言った。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」
18:34 イエスは答えられた。「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」
18:35 ピラトは答えた。「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」
18:36 イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」
18:37 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」
18:38 ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」彼はこう言ってから、またユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。「私は、あの人には罪を認めません。
18:39 しかし、過越の祭りに、私があなたがたのためにひとりの者を釈放するのがならわしになっています。それで、あなたがたのために、ユダヤ人の王を釈放することにしましょうか。」
18:40 すると彼らはみな、また大声をあげて、「この人ではない。バラバだ」と言った。このバラバは強盗であった。

<要約>

  • イエス様は積極的に十字架に向かった。

誰でも間違ったことに対しては、悔しくなり、否定的、敗北的になり、逃げ出したくなりますが、イエス様は自ら積極的十字架に向かいました。私たちもイエス様のように苦難に対して正面突破しましょう!必ず道は開かれます。十字架の出来事は、全人類の救いのため、自ら命を差し出した神様の計画です。不当な十字架の出来事が祝福に変わる瞬間です。

  • 十字架は、イエス様が全人類の王であることの宣言である。

ピラトはイエス様の十字架の罪状書きに「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と記しました。これは「イエス様がユダヤ人の王である」と宣言した歴史的な事件となりました。しかも、これはヘブル、ローマ、ギリシヤ語で記されました。つまり、イエス様が全人類の王である宣言が全世界になされたのです。十字架の出来事は、全人類を救うための神様の計画でありました。

  • すべてを与えるイエス。

イエス様は命だけではなく、下着までもすべてを奪われました。人間の本性は、他人より多く持ちたがり、高い地位に上がろうと望みます。これこそが、人間が追求する幸福と考えます。富だけではなく、知識、地位、人、土地などすべてを所有したがります。しかし、イエス様が自分のすべてを与える自由と喜びを十字架の出来事を通して教えてくださいました。

  • イエス様は十字架の上で、命を落とす最後まで伝道をしていた。

イエス様と一緒に十字架にかけられ悔い改める強盗に救いの約束を与えました。死を救いの伝道の道具として用いたのです。死ぬ瞬間は苦しみと痛み、悲しみなどいろんな感情がこみあげますが、これより、求道者に伝道をしましょう!神様は死さえも救いに変えてくださいます。

 

イエス・キリストの裁判

2017年4月2 日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ヨハネによる福音書18章28~40節

18:28 さて、彼らはイエスを、カヤパのところから総督官邸に連れて行った。時は明け方であった。彼らは、過越の食事が食べられなくなることのないように、汚れを受けまいとして、官邸に入らなかった。
18:29 そこで、ピラトは彼らのところに出て来て言った。「あなたがたは、この人に対して何を告発するのですか。」
18:30 彼らはピラトに答えた。「もしこの人が悪いことをしていなかったら、私たちはこの人をあなたに引き渡しはしなかったでしょう。」
18:31 そこでピラトは彼らに言った。「あなたがたがこの人を引き取り、自分たちの律法に従ってさばきなさい。」ユダヤ人たちは彼に言った。「私たちには、だれを死刑にすることも許されてはいません。」
18:32 これは、ご自分がどのような死に方をされるのかを示して話されたイエスのことばが成就するためであった。
18:33 そこで、ピラトはもう一度官邸に入って、イエスを呼んで言った。「あなたは、ユダヤ人の王ですか。」
18:34 イエスは答えられた。「あなたは、自分でそのことを言っているのですか。それともほかの人が、あなたにわたしのことを話したのですか。」
18:35 ピラトは答えた。「私はユダヤ人ではないでしょう。あなたの同国人と祭司長たちが、あなたを私に引き渡したのです。あなたは何をしたのですか。」
18:36 イエスは答えられた。「わたしの国はこの世のものではありません。もしこの世のものであったなら、わたしのしもべたちが、わたしをユダヤ人に渡さないように、戦ったことでしょう。しかし、事実、わたしの国はこの世のものではありません。」
18:37 そこでピラトはイエスに言った。「それでは、あなたは王なのですか。」イエスは答えられた。「わたしが王であることは、あなたが言うとおりです。わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。」
18:38 ピラトはイエスに言った。「真理とは何ですか。」彼はこう言ってから、またユダヤ人たちのところに出て行って、彼らに言った。「私は、あの人には罪を認めません。
18:39 しかし、過越の祭りに、私があなたがたのためにひとりの者を釈放するのがならわしになっています。それで、あなたがたのために、ユダヤ人の王を釈放することにしましょうか。」
18:40 すると彼らはみな、また大声をあげて、「この人ではない。バラバだ」と言った。このバラバは強盗であった。
<要約>

全世界がキリストを裁く

実に、ユダヤ人たちは石打の刑ではなく十字架刑を求めていたということです。一民族規模ではなく世界規模の処刑を求めていたのです。なぜ、石打ではだめで十字架でなければならなかったのか。石打はユダヤ国内の刑です。しかし、この場合は、当時の全世界を代表とするローマの刑でなければならなかったからです。これはまた、イエス様の預言の通りでした。すなわち、全世界の代表となるローマによって処刑されることが、神のご計画でした。つまり、全世界がキリストを裁くことになったのです。それは、すべての人を罪の呪いから救うためでした。キリストは、罪から来る呪いをすべての人の代りに受けて十字架で呪われたものとなったということです。イエス様がユダヤ民族という一つの民のためではなく、全世界の国民のためにいのちを捨てたということを表しています。その動機は愛です。「神はこの世界を愛された、実にそのひとり子をお与えになったほどに」と言うみことばの通りです。ユダヤ人指導者たちの陰謀にかかわらず、神の摂理が働いていたのです。結果的に、すべての人の救いのために、イエス様は十字架で贖いの死を遂げることになるのです。ですからそれは、あなたの救いのためなのです。

天の王国と地上の王国

イエス様は答えられました。「わたしの王国は、この世に属するものではありません」と。すなわち、イエス様の王国は、ローマ帝国、ユダヤの国などこの世界に属するものではないというのです。それは、まったく別の世界、真理の王国とでもいいましょうか。イエス様は、ピラトに「わたしは真理を証するために来た」と言われました。イエス様は、地上の王国ではなく、天の王国の王であることを示されたのです。キリストの王国は、天の御国と言えます。それは、彼岸のかなたにあるのではなく、この地上にあるのです。神が主権を取っておられる国です。また、イエス様を信じる者、イエス様を王として崇める者の中に御国は存在しています。御国の国民である信者は普遍的な教会に属しています。キリストが主、王として治めておられます。時代や地域を超えて存在する目に見えない教会です。そして、この地上の教会は天国の出張所です。教会はキリストの法が治めています。キリストご自身が十字架の愛と赦しによって治めていると言ってもいいでしょう。キリストを王とした御国は拡大し続けています。世界人口の三分に一はキリスト教です。聖書には、すべての国民に福音が述べ伝えられて終わりが来ると書いています。では、地上の国と天の御国の接点は何でしょうか。地上の国と天の御国との接点はキリストの十字架です。十字架を通して出なければ誰も天の御国に属することはできません。ですから、私たちも十字架以外に誇りはないし、十字架以外に天に至る方法はないということです。イエス様を信じて、もう一度、イエス様の十字架は自分のためにあったことを確認しましょう。また、福音である十字架のことばは全世界に述べ伝えられて、すべての人々は天の御国ヘ招かれています。条件はただ一つ、福音を信じることです。人間の努力や行いには関係ありません。すべての人がもれなく招かれています。イエス様が、「真理を証するために来た、真理に属するものはイエス様の声に聞き従う」と聞いて、ピラトは「真理とは何ですか」とイエス様に聞き返します。聖書によるとこの真理は、イエス・キリストを指します。また、真理とは福音を指します。また、真理はみことばを指します。また、真理は聖霊を指します。ですから、聖書にある「真理」とは、父なる神の正義と愛を明らかにしたイエス・キリストだということです。

ピラトの判断の悲劇

すぐに、ピラトは門で待っていたユダヤ人たちのところに出て行って、「あの人に罪を認めません」と言いました。ピラトには、イエス様にはローマの法律に抵触する罪を認めなかったのです。直感的にイエス様が正義と愛の人であるとわかったのかもしれません。ピラトはこの裁判において、三回キリストの無罪を主張することになります。そして、ピラトは何とかしてイエス様を無罪放免にしようと努力をしました。しかし、どうしても無罪放免にすることができなかったのです。その理由は、まず、ピラトは民衆を恐れていました。そして、騒動が起こることを恐れていました。さらには、ユダヤ人たちが激しく叫んで、「もしこの人を釈放するなら、あなたはカイザルの見方ではない」と言いました。そのときには、ピラトは自分の政治生命に危害が加わることを恐れました。そして、臆病にも、イエス様が罪のない神の人であると知りながらも、十字架に渡してしまうことになったのです。ピラトの正義は、自分にとっての利害の上に立った正義でした。それは神の正義とは大きくかけ離れたものです。ピラトは自分が恐れていた通り、それから三年の後にローマに召喚されて、流刑となりそこで自殺したと言われています。そして、彼は歴史が続く限りいつまでも、無実のイエス・キリストを裁いたものとして、悲しいかな、永遠に語り継がれるものとなったのです。ピラトは悲劇の人生を送った人物です。それはイエス・キリストと面と向かったのに、真理を求めなかったからです。イエス・キリストによって、人類の歴史を紀元前と紀元後に分けられました。キリスト以来、「真理とは何か?」「イエス・キリストは誰か?」という問いが二千年来問われ続けています。ここにおられる方々に対してもそれは例外ではありません。解答は聖書にあります。イエス・キリストこそ真理です。