神の喜びを喜びとする

2016年12月25日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>マタイの福音書2章1~12節
2:1 イエスが、ヘロデ王の時代に、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったとき、見よ、東方の博士たちがエルサレムにやって来て、こう言った。
2:2 「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東のほうでその方の星を見たので、拝みにまいりました。」
2:3 それを聞いて、ヘロデ王は恐れ惑った。エルサレム中の人も王と同様であった。
2:4 そこで、王は、民の祭司長たち、学者たちをみな集めて、キリストはどこで生まれるのかと問いただした。
2:5 彼らは王に言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者によってこう書かれているからです。
2:6 『ユダの地、ベツレヘム。あなたはユダを治める者たちの中で、決して一番小さくはない。わたしの民イスラエルを治める支配者が、あなたから出るのだから。』」
2:7 そこで、ヘロデはひそかに博士たちを呼んで、彼らから星の出現の時間を突き止めた。
2:8 そして、こう言って彼らをベツレヘムに送った。「行って幼子のことを詳しく調べ、わかったら知らせてもらいたい。私も行って拝むから。」
2:9 彼らは王の言ったことを聞いて出かけた。すると、見よ、東方で見た星が彼らを先導し、ついに幼子のおられる所まで進んで行き、その上にとどまった。
2:10 その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。
2:11 そしてその家に入って、母マリヤとともにおられる幼子を見、ひれ伏して拝んだ。そして、宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物としてささげた。
2:12 それから、夢でヘロデのところへ戻るなという戒めを受けたので、別の道から自分の国へ帰って行った。

<要約>

見下された人々にご自身を現す神

救い主の誕生の知らせが最初に届けられたのは、ユダヤでは最も貧しいと言われた、羊飼いたちです。王宮にいる人たちでもなく、ユダヤの宗教指導者たちでもありませんでした。宗教指導者たちは外面を重んじる人たちでした。その人たちから見れば、野宿の羊飼いは律法の外にいる人たちでした。最も貧しい社会的にも認められず、軽蔑されていたような羊飼いたちに、神は喜びの知らせを最初に届けたのです。これは大きな特権と言えます。このことから、神がこの地上で軽蔑されているような身分が低く、貧しい人々をどんなに恵み深く、好ましく思っておられるかがわかります。神は低い心を喜ばれます。知らせが伝えられたもうひと方は、異邦人の博士たちです。この異邦人の博士たちも、律法の外の人々で、ユダヤ人から見れば汚れた人々、見下された人々でした。しかし、博士たちには救い主を求める心がありました。このことは、このすばらしい喜びの知らせが、異邦の民を含む全世界の人々に届けられるべきものであることを示しています。博士たちは星に導かれてイエス様を拝みにまいりました。旧約聖書の預言の成就と言える記事が記載されています。出産の場所について、預言が書かれています。 また、星の出現については、メシヤの預言があります。博士たちのささげものについても預言されています。このように、旧約聖書の成就がみられるのです。主イエスは旧約聖書の約束の成就です。神は、人間に罪が入り滅ぶべきものとなった時から、人の救いのためにご計画を立てられました。そして、人類の歴史を導いてこられました。御子イエスそのものが救いです。

救い主イエスへの周りの反応

救い主イエス様が来てくださった事に対して四通りの人々が登場します。最初に東方の博士たちです。おそらく博士たちは、民数記にあるバラムの預言で「ヤコブから一つの星が上り」にある星を見たのでしょう。聖霊によって、その星がユダヤ人の王のしるしであることを知ったのです。伝承によれば、かれらは王でもあったようです。ですから、護衛など召使を伴った事でしょうから、少なくとも、数十人の旅であったと想像します。博士たちは救い主に会いたくて遠路はるばるやってきました。そして、お告げの通りの神の御子を見て、この上もなく喜んだのです。彼らは、黄金、乳香、没薬をささげて幼子イエスを礼拝しました。そして、夢でヘロデの所に戻るなという戒めを受けて、エルサレムを通らないで、自国に帰っていきました。博士たちは大変な労力と経済を犠牲にしての旅でした。その動機となったのは、彼らの救いを求める熱心さです。神は熱心に求める者にご自身を現してくださいます。次にヘロデ王です。彼は、ユダヤ人ではなく、異邦人でエドム人でした。当初、ヘロデはエルサレムの神殿の修復、城壁の工事など多くの建造物をユダヤ人のために造りました。その功績や他の政治手腕が認められて、ヘロデ大王と呼ばれました。しかし、ヘロデは晩年自分の地位が脅かされるのを恐れて、非常に疑り深く、猜疑心の塊となり、自分の妻や子どもたちも殺害します。そのような状況下で、博士たちの「ユダヤ人の王になる方はどこにお生まれになりましたか」という言葉を聞いて、ヘロデは非常に恐れたのです。自分の王位を脅かされると考えました。ヘロデは、その後博士たちから騙されたと知って、ベツレヘムの2歳以下の男子を全員殺害します。彼は自分を神の位置に置き、人々を支配し思うように動かそうとしました。神を離れ自分を神の上に置いた人間の悲惨があります。次に、4節に出てくる民の祭司長たち、学者たちです。宗教的指導者たちです。彼らは、旧約聖書の専門家でしたから、キリストのおとずれが預言されていることを知っていました。しかし、キリストが来られることに関心はありませんでした。ですから、ヘロデ王からの質問に答えただけで、自分たちの問題とはしなかったのです。ここに無関心という問題があります。彼らは、神が何であり、何をなそうとしておられるか全く気にかけない人々です。彼らは現在の生活や状況に安住している、現状からの変化を恐れる人々でした。四つ目には、エルサレムの人々、あるいはベツレヘムの人々の反応です。ここにも無関心、無反応という問題があります。ベツレヘムは小さな町です。一個旅団ともいえる東方の博士たちが来たのにもかかわらず、ベツレヘムの町の人々の様子はなにも書かれていません。この町の人々は何も気づかなかったのでしょうか。これが人間の現状であるということです。見ていても関心がなければ気づかないということです。ほんの一部の人たちしか気づかなかった、関心を寄せなかった。人間がいかに救いから遠い存在であるかを思います。現在も、全世界がクリスマスを祝い、「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。」という聖書のことばも耳にしているでしょう。しかし、自分のこととして捉えることができないのです。聖書は、すべての人は救われなければならない存在であると言います。天使がヨセフに夢の中で、「キリストは民をその罪から救ってくださる方」と紹介したように、すべての人は、罪から救われなければなりません。今、以下のように神は皆さん一人ひとりに語っています。「あなたのために、キリストは来て、あなたのために十字架で身代わりの死を遂げ、あなたのために、復活し永遠のいのちを備えたのだよ」と。

天での喜びと地上での無関心

博士たちは、「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ」と書いています。ルカの記事を見ると、地上での驚くべき無関心と無感動と対比して、天上では多くのみ使いたちと一緒に天の軍勢が現れて、神を賛美していました。天では大ファンファーレが鳴り響いたことでしょう。神は何をそんなに喜ばれたのでしょうか。罪により死と滅びに定められている人間に救いの道が用意されたことをです。あなたに、救い主イエスをプレゼントできることを神は喜ばれたのです。しかし、それとは対照的に、地上では、野宿の羊飼いたちと博士たち一行を除いては、静寂と暗夜が覆っていました。この地上では救い主の誕生は軽視され拒絶されていました。無関心無感動が覆っていたのです。神の情熱に対して、人間の無情ということでしょう。この最高のプレゼントを受け取る方の人間は無関心無感動であったのに、プレゼントする神は大歓声をあげて喜んでいる、これは大変おかしな情景ではないでしょうか。一人の人が悔い改めて神に立ち返るのなら、天国ではファンファーレが鳴り響き、天使たちが大喜びの歓声を上げるというのです。私たちは神の喜びを自分のものとして生きたいと思います。神の喜ばれることは、一人の人が悔い改めて神に帰ることです。そのためにイエス様は来てくださいました。天での喜びが私たちの喜びとなるように、家族、友人、知人にこの救いの知らせを届ける者とさせていただきたいと思います。神はそのことを先に救われた私たちに託しておられるのです。

 

 

飼い葉おけのキリスト

2016年12月18日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ルカの福音書2章1~7節
2:1 そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。
2:2 これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。
2:3 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。
2:4 ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、
2:5 身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。
2:6 ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、
2:7 男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

<要約>

歴史の中に救い主を送られた神

イエス・キリスト誕生の時代、地中海、中東地域はギリシア語が共通言語となり、陸路海路が整備され世界が近くなりました。ローマ帝国は、圧倒的な軍事力を持ち、ローマの平和という時代が来たのです。それは、キリストの福音が最も広がりやすい時代にあったということができます。ルカは、イエス・キリストの誕生を歴史的事実として説明しています。皇帝アウグストスの住民登録令により、マリヤとヨセフが登録のために来たベツレヘムの家畜小屋で、男の子を生みました。注解書によると、ヨセフは一人でベツレヘムに行って登録すればことは済んだはずだと書いていました。当時の社会は男の数しか問題にしていなかったようです。おそらく、ヨセフはマリヤを一人残して行くことが心配であったのでしょう。マリヤをおいて行けば、うわさ話によって彼女が中傷にさらされるかもしれないと思ったのです。しかし、これは救い主がベツレヘムで生まれるというミカ書の預言の成就でした。神が、皇帝アウグストに働いて住民登録の命令を出させたこと、ナザレでのうわさ話があったこと、そしてヨセフの迷いなど、すべてが用いられて、絶妙のタイミングでイエス様はお生まれになったのです。神はあらゆる事柄やあらゆる人々を通して働き、ご自身の目的を成し遂げられるのです。私たちは、目の前に起こることを見て、心騒がせるものです。しかし、マイナスと見えても神はそれをも用いて益としてくださるので、短絡的にものを見ないようにしましょう。どんな時も神を信頼して歩むことです。それを通して神はご自身の栄光を見せてくださるからです。

へりくだられる神

ベツレヘムは小さな町で、ヨセフはほうぼうの家の扉をたたいたことでしょう。しかし、全部断られ、最後の家で、動物を夜入れておく、家畜小屋、それは自然とできた洞穴であったようですが、そこを提供されました。これは「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」とみことばの通り、救い主拒絶のしるしであったと言えます。また、神は天使を遣わして、清潔で安全な出産場所を用意させておくこともできたはずです。しかし、その神の御力を少しも用いることをなさいませんでした。とにかく、神はご自身を貧しさの極みにおかれたのです。それは最も貧しい人をも富むものとするためです。神はあなたに近づくために、最も貧しくなられました。それは、無条件で天にあるあらゆる富をあなたに与えるためなのです。キリストが約束してくださる天の富は、罪の赦しから来る永遠の命です。神の子の身分です。天国の相続人です。それが無条件であなたのものになるのです。ただ信じるだけです。イエス・キリストは永遠の昔から居られる三位一体の神です。その神が歴史のこの時に、人となって来てくださった。それは、神が人間に生まれ変わったというのではありません。受肉によって、真の神のままに、同時に真の人になられたということです。そのキリストが、ベツレヘムの町では受け入れられずに家畜小屋で生まれ、飼い葉おけに寝かされていました。これは、先に話しましたが、貧しさ、身分の低さ、拒絶されたという状況です。それにしても、神としての力、権威、を少しも用いられませんでした。本来は仕えられるお方なのに、へりくだり、飢え、痛み、悩み、欠乏に身をお委ねになったのです。神の力を用いることはできました。それなのに、それを控え、人の救いのために十字架刑に耐えてくださいました。「キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」ここにキリストのヘリくだりがあります。それは、ただ、あなたの救いのためなのです。

祝福の基となる約束

ベツレヘムに着いたときに、マリヤが産気づきました。ヨセフは、何とかマリヤと赤ちゃんを守らなければならないと必死でした。無我夢中でした。夜露をしのげるだけでよい、戸外での出産にならなければよい、と思ったでしょう。ですから、家畜小屋を与えられた時は、ヨセフは感謝したでしょう。藁を敷いてそのうえでの出産でした。飼い葉おけはおそらく石に溝をつくっただけのものと思われます。赤ちゃんを地面に置くよりは少しましであるという程度です。しかし、この二人にはつぶやきはありませんでした。主が備えてくださったものに満足していました。何もかも不足して何の準備もありません。しかし、彼らにあったのは主の約束です。彼らはその約束を思い起こし平安を得たと思います。困難に立ち向かう力を得ていました。「マリヤはこれらのことをすべて心に納めて、思いめぐらしていた」と書いています。私たちも、この「心に納めて思いめぐらす」ということが大切です。私も含めてここにおられる皆さんは、それぞれ、神を信じて今年一年を歩んできました。その中で、病気の試練、自分を取ります環境の変化、家族の問題、学校や職場での葛藤、などなど、思い起こせばたくさんのことがあるのではないでしょうか。それらのことを心に納めて思いめぐらすとき、やはり、私たちも今を感謝せずにはいられないのではないでしょうか。あなたの今の祝福の基となっているのは、神の約束です。信じる者への神の約束は、神の祝福と守り、神の恵み、神の与える平安です。マリヤは、幼子イエスの将来をどこまで分かっていたでしょうか。この後、シメオンは幼子の将来を預言して、「反対を受けるしるしとして定められている」と言います。また、マリヤが、心を剣で刺し通されるような経験をすると預言します。また、この後、ヨセフとマリヤは幼子を連れてエジプトに避難します。それは、ヘロデ王による残虐行動を前もって天使によって知らされたからです。このように、悪魔とこの世は神の国を激しく攻め始めました。私たちも、主イエスを信じて歩み出すと同じように、悪魔とこの世は激しく攻撃してきます。だから、固く信仰に立ちなさいというのです。すなわち、祝福の基となる約束に立ちなさいというのです。

 

インマヌエルの神

2016年12月11日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>マタイの福音書1章18~25節
1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。
1:19 夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。
1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
1:22 このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。
1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
1:24 ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、
1:25 そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。

<要約>

主から来る使命と苦悩

ヨセフはマリヤから天使ガブリエルのみ告げについて、説明を受けましたが、ヨセフにはそれをそのまま受け入れるには難しい事でした。マリヤはマリヤで、両親にも説明したでしょう。しかし、信じてもらうことはできなかったでしょう。妊娠という身体に現れる変化にいずれ周囲の人々は気づいていきます。そうしたら、なんと説明したらよいのか。親や家族、そしてヨセフからのまなざしもマリヤにとっては心地よいものではなかったと思います。マリヤに対する疑い、不信、さらにユダヤ社会への説明責任など、様々なことが浮かび上がってきます。それらはマリヤだけではなく家族親類にも及ぶ大きな問題へと膨れ上がっていくのです。ヨセフは、悩み苦しみました。不品行による妊娠に対して当時の社会では、二つの選択肢があったようです。一つは、律法に則ってマリヤの罪を公にして、断罪することです。マリヤは世間のさらし者にされます。もう一つは、寛大な離婚法です。公にしないで、二人の証人を立てて離婚状をマリヤに差し出すことです。マリヤが人に知られて厳しい罰を受けることが無いように、ヨセフは後者の方法を選びました。「彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた」と書いてある通りです。神はヨセフの決断を見て、これからなそうとしているご計画をヨセフに明かします。生まれてくる子が神であって、救い主であることを告げます。そして、マリヤを受け入れなさいと命じます。ヨセフがその神の使命を素直に受け取って、マリヤとその妊娠を守り通す人間であるかを神は見届けたかったのです。私たちも様々な問題を考えて悩み、決断します。しかし、御心に沿った決断をしていくときに主はそのご計画をさらに示してくださるのです。主の使いが現れて、「ダビデの子ヨセフ」と声をかけます。ダビデの家系に救い主が生まれるという預言をヨセフに思い起こさせるのです。「恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。」「その胎に宿っているものは聖霊によるのです。その名をイエスとつけなさい。」ヨセフは驚きました。マリヤがヨセフに説明した通りで、イエスという名前まで一致していたのです。ヨセフはこの夢を通してマリヤを迎えることができたのです。ヨセフは、神からの試練に対して、驚き、苦悩し、そして決断しました。しかし、主はヨセフの思いに加えて、救い主イエス・キリストの父親としての使命をお与えになりました。イエス様は、私たちに「自分の十字架を負ってわたしについてきなさい」と勧めています。神からの使命は、自分にとっての十字架と言えるのです。十字架それは負わされる重荷です。わたしたちそれぞれ使命は違いますが、その使命に生き抜いたときに、いのちの冠が用意されているということです。

罪から救ってくださる主イエス

マリヤの胎に宿ったその子についての天使からのことばです。三つのことが書かれています。一つは、その子は聖霊によるということ、それは人の罪を贖うためにです。男女間に生まれる子どもは原罪を受け継いできており罪人です。罪人は同じ罪人の罪を贖うことはできません。自分の罪で滅ぶからです。しかし、聖霊によって生まれた神の子は神ですから罪がありません。ただ一人罪のない方が全人類の罪を贖うことができるのです。二つ目は、その子は男の子であるということです。三つめは、その子は「ご自分の民をその罪から救ってくださる方」であるということです。当時の人々はメシヤを待ち望んでいました。しかし、それは、イスラエルの民をローマの圧政から解放してくれる政治的解放者でした。しかし、様々な世にある問題からの救いではなく、この方イエス・キリストは罪からの救いのために来られたと天使は言明します。すべての人を罪から救うことを使命として来られたのです。罪は原語ではハマルチアです。的外れという意味です。たとえて言うならば、脱線しているということです。もし、新幹線が脱線していたら、それは大きな鉄の塊で、まったくの役立たずです。聖書は、すべての人はこの脱線した新幹線と同じです。脱線した新幹線は目的地に行くことはできません。人間も罪のために目的を失っています。イエス・キリストはあなたを罪から救い、あなたが本来の目的と使命に生きることができるようにしてくださいます。キリストはあなたを罪と死と悪魔から救い出して永遠に続く神のいのちに生かしてくださるのです。

ともに住みともに歩む神

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)これは、イザヤ書7章の預言です。もともとこの預言は、BC8世紀に、アラムと北イスラエル王国の連合軍がユダを攻めようとしていた時にイザヤを通して与えられたみことばです。そのような国の危機的な状況の中で与えられた希望の預言でした。それが、700年の歳月の後に成就したのです。その当時の社会状況をマタイは述べています。「暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」ここに人々の霊的状況があります。暗やみの中で立つこともできずに座っています。そこは黙っていれば、死にゆく状態です。これは、現代社会に生きるすべての人の霊的状況であると言えます。なぜなら、いのちの基となる造り主から断絶しているからです。そこに神が光として来てくださったのです。「インマヌエル、神が共におられる」というのは具体的にどういうことでしょうか。それは、神が人となって私たちと共にこの地上で生きて私たちと共に生活してくださることです。目には見えませんが、イエス様は聖霊という形であるいは主ご自身として、信じる者の中に住んでくださいます。それは、あなたをあわれみ、あなたを惜しんでおられるからです。それを自分のものにするためには、信じて、主イエスを心にお迎えすることです。もし、あなたが主イエスを心にお迎えするなら、イエス様はあなたを罪から救い、さらにあなたと生活を共にしてくださると約束しています。あなたの生活の中で、あなたの力ではどうすることもできない事に神がご介入くださるのです。

 

恵みを受け取るマリヤ

2016年12月04日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ルカの福音書1章26~38節
1:26 ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。
1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。
1:28 御使いは、入って来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
1:29 しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
1:30 すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。
1:31 ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。
1:32 その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」
1:34 そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」
1:35 御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。
1:36 ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。
1:37 神にとって不可能なことは一つもありません。」
1:38 マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。

<要約>

信じ期待し忍耐する愛

全世界を救うメシヤは権力と威力によって、まばゆい光として来られたのではありませんでした。まことにささやかなともし火として、誰にも気づくことができない形でこの無名の少女マリヤに灯されました。神のひとり子を無防備で弱い人間の赤子として世に与え、全人類を救おうとなさったのです。人の罪のために、神との関係は失われています。その失われた神との関係を取り戻すために、神は力の原理を用いようとはなさいません。むしろ、愛の原理によって信頼の絆を取り戻そうとしておられるからです。なぜかというと、神の強い威力で、ご自身を現されたら皆さんは恐怖と恐れで、神の前にひれ伏すでしょう。そうして、奴隷のように従うでしょう。それでは、創造の時にあった愛と信頼のまじわりを取り戻すことにはならないからです。神の愛は、信じ、期待し、忍耐する愛です。その愛であなたを救われるのです。力によってあなたを脅して押さえつけて従わせようとはなさいません。どこまでも謙遜でへり下られて、あなたを愛するのです。それが神の愛です。それはあなたを尊重して、あなたを信仰に目覚めさせたいからです。神は、あなたと、愛と信頼のきずなを取り戻したいと願っておられるからです。

恵みを受け取り所有する

天使ガブリエルは「おめでとう。恵まれた方。主があなたとともにおられます。」とマリヤに声をかけられました。神の恵みとは、受けるに値しないものへの神の愛、祝福であると言いました。ガブリエルは言います。「ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。」マリヤは「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」と言います。「聖霊があなたの上に臨み」というのは、処女のマリヤに三位一体の神の第三位格の聖霊が働いたということです。そのようにして、神の第二位格イエス・キリストが神性を失うことなく罪のない全き人としてお生まれになることができたのです。そうでなければ、人を罪から救うことが出きないからです。なぜなら、すべての人は生まれながら罪をもって誕生します。イエス様がすべての人の罪の身代わりとなって十字架でその裁きを受けてくださいました。人の身代わりとなるのは、人でなければなりません。また、罪を代わりに背負うためには、生涯まったく罪のない人でなければなりません。全く聖く一点の罪もしみもない方は、神以外にありません。それゆえ、キリストは、神であり人であるのです。マリヤは「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」と言いました。マリヤはこの信仰によって、神に選ばれ、神の壮大なご計画に組み込まれて、救い主の母となるのです。私たち人間は自分で自分を選べずに生まれてきて、選べずに死にます。自分で選んで生きているように感じているかもしれませんが、実は何一つ選べないのです。神がいのちを与え取られるのです。神があなたを選んでここに導いてくださっているのです。神の救いのご計画の中にあなたの役割を持っておられるのです。神はあなたを選んでくださったのです。マリヤのように無に等しい人を選んで人類の救いの神の計画に入れてくださったと同様に、あなたも選ばれているのです。神は他の人ではない、あなたに語っておられるからです。「神にとって、不可能なことは何もありません。」「あなたは恵まれています。主があなたとともにおられます」と。私は確信を持ってここにおられる皆さんに宣言します。「あなたは選ばれています」「あなたは恵まれています。主があなたとともにおられます」と。あなたは「自分が何を選んで信仰するかは、自分が決めることだ」と言いますか?その通りです。信仰はあなたが決めることです。マリヤは、神のことばを全面的に信じて、約束を自分のものとしました。神の選びと恵みと祝福を全部、彼女は自分のものとしました。それは、ただ、信じて受け取ったからです。マリヤは「これから後、どの時代の人々も私を幸せ者と思うでしょう」と、その言葉通りになりました。ここに、信じて所有するということが起こります。神の約束は信じて所有するのです。あなたが信じればあなたのものになるのです。「力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。」というのです。他の人から見れば、小さなことかもしれませんが、私にとっては、神は私に大きなことをしてくださっている、と告白するのです。

聖霊による新しい誕生

人間は生まれたときは、生物としてのいのちがあります。しかし、神のいのちから断絶しているので霊のいのちを持っていません。造り主である神を認めない人には、人の人生は、朝露のようにはかないものです。しかし、万物の造り主である神は、あなたの人生をかけがえのない大切なものと思っておられるのです。その神が、忍耐と熱心をもってあなたに働きかけています。断絶しているいのちの回復です。人間は失っているいのちを取り戻さなければなりません。それを取り戻したとき、人のいのちははかないものではなく神の永遠のご計画のうちに掛け替えのないものになるのです。そして、神のいのちとつながって生きるために水と聖霊によって新しく生まれる必要があるのです。イエス様は、「人は、水と御霊によって生まれなければ」とおっしゃいました。水は洗礼のことです。御霊は聖霊のことです。人が罪を悔いてイエス様を救い主と信じて救われるというのは、聖霊の働きです。聖霊によって誕生した新しい霊の人がその人の中に誕生するのです。ですから、人は二度生まれる必要があるということです。一度目は、生物学的な出生です。それも決して偶然に起こったことではなく、神があなたの父と母を選んで、その子どもとして、あなたという掛け替えのないいのちを与えられたのです。そして、二度目の誕生は、水と御霊による誕生です。それが洗礼を受けてクリスチャンになることです。神は、マリヤを選び、ご自身を現して、大いなる恵みの約束を与えました。マリヤはそれを受け取り、全人類の救い主の母となりました。同様に、神はあなたを選び、あなたに新しい誕生を与えて、恵みの約束を所有するように招いています。それは今、もう一度あなたが、救い主イエス・キリストを心にお迎えして、新しいいのちに生かされることです。