悔い改めて信じる

2015年11月29日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>

バプテスマのヨハネの登場

ヨハネはイエス様の誕生の少し前に生まれ、多くの人を神に立ち戻らせました。神は平凡なザカリヤ夫妻に目を止められました。彼らには子供がなかったのです。み使いによる言葉の通り、エリサベツはみごもり、男の子、ヨハネを産みました。時至って、ヨハネはヨルダン川で悔い改めのバプテスマを施していました。人々はヨハネの言葉を聞いて、自らの罪を悔い改めて洗礼を受けました。ヨハネのメッセージを聞いて、心刺されて、「私たちはどうすればよいのでしょうか」とヨハネに聞きます。答えは、「罪を悔い改めて神を信じなさい」ということです。律法によっては、人は救われません。すなわち、律法を守ろうとしても守り切れないのです。では、救い主キリスト来られる前の人々は皆救われなかったのでしょうか。否、モーセの律法が与えられる前にアブラハムは信仰により恵みによって義とされたのです。では、なぜ、その後、モーセを通して律法が与えられたのでしょうか。律法は神の御心です。律法の中心は十戒と言えます。人として当然あるべき姿です。また、人間がこの世界で幸福に生きるためのルールと言えます。十戒は人間のどんな罪も照らし出すと言われています。人が律法によって、自分の罪を示されて謙遜になり、真の神を愛し、恐れ、信頼していくようになることを神は求めておられたのです。

悔い改めてキリストを信じる

私たち個人がイエス様を信じる時に、心に悔い改めが起こります。聖霊はみことばと共に働いて、人々に罪を指摘します。自らの罪を悲しみ悔いて、救い主イエス・キリストを仰ぎ見るのです。悔い改めは後悔とは違います。悔い改めは、メタノイア、思いを変えることです。悔いてキリストを仰ぎ見ることです。すなわち信仰です。後悔は悔いたまま自責の念にとどまることです。人が信仰に至る過程を見てみますと、人はまず、自らの罪に気づかなければなりません。「私たちはどうすればよいのでしょうか」と、自分はこれでいいという思いから別の思いに心を向けることが必要です。自分中心の生き方から、神中心の生き方に転換することと言えます。

世の罪を取り除く神の小羊

ヨハネはイエス・キリストを指して、「見よ。世の罪を取り除く神の小羊」と言いました。イエス・キリストは祭壇でささげられる贖いの小羊のように、すべての人の罪をその身に負われて身代わりとなって裁きを受けました。罪は、死をもたらします。「しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。」罪の代価は十字架によってすでに支払われているので、「あなたは罪なし、無罪」と判定されるのです。悔い改めてイエス・キリストを信じることによってあなたのものとなるのです。今、世界を見る時に、テロは拡大して、テロ国家まで発生しています。宗教を利用して、殺人を正当化しています。憎しみが憎しみを生み、増大しているのです。今、個人個人の罪も、集団の罪も、国家の罪も積もり積もって訴えは天に届いているのです。罪が正しく罰せられないために、憎しみが増大しています。神はその罪に対する裁きを遅らせて、忍耐をもって人間が悔い改めるのを待っておられるのです。

<聖書>ルカの福音書1章5~20節
1:5 ユダヤの王ヘロデの時に、アビヤの組の者でザカリヤという祭司がいた。彼の妻はアロンの子孫で、名をエリサベツといった。
1:6 ふたりとも、神の御前に正しく、主のすべての戒めと定めを落度なく踏み行っていた。
1:7 エリサベツは不妊の女だったので、彼らには子がなく、ふたりとももう年をとっていた。
1:8 さて、ザカリヤは、自分の組が当番で、神の御前に祭司の務めをしていたが、
1:9 祭司職の習慣によって、くじを引いたところ、主の神殿に入って香をたくことになった。
1:10 彼が香をたく間、大ぜいの民はみな、外で祈っていた。
1:11 ところが、主の使いが彼に現れて、香壇の右に立った。
1:12 これを見たザカリヤは不安を覚え、恐怖に襲われたが、
1:13 御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。
1:14 その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
1:15 彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、
1:16 そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。
1:17 彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」
1:18 そこで、ザカリヤは御使いに言った。「私は何によってそれを知ることができましょうか。私ももう年寄りですし、妻も年をとっております。」
1:19 御使いは答えて言った。「私は神の御前に立つガブリエルです。あなたに話をし、この喜びのおとずれを伝えるように遣わされているのです。
1:20 ですから、見なさい。これらのことが起こる日までは、あなたは、ものが言えず、話せなくなります。私のことばを信じなかったからです。私のことばは、その時が来れば実現します。」

神様に従うヨナ

2015年11月22日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢執事 崔宰誠

<聖書>ヨナ書3~4章

3:1 再びヨナに次のような【主】のことばがあった。
3:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げることばを伝えよ。」
3:3 ヨナは、【主】のことばのとおりに、立ってニネベに行った。ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの非常に大きな町であった。
3:4 ヨナはその町に入って、まず一日目の道のりを歩き回って叫び、「もう四十日すると、ニネベは滅ぼされる」と言った。
3:5 そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。
3:6 このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。
3:7 王と大臣たちの命令によって、次のような布告がニネベに出された。「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。
3:8 人も、家畜も、荒布を身にまとい、ひたすら神にお願いし、おのおの悪の道と、暴虐な行いから立ち返れ。
3:9 もしかすると、神が思い直してあわれみ、その燃える怒りをおさめ、私たちは滅びないですむかもしれない。」
3:10 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らに下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。

4:1 ところが、このことはヨナを非常に不愉快にさせた。ヨナは怒って、
4:2 【主】に祈って言った。「ああ、【主】よ。私がまだ国にいたときに、このことを申し上げたではありませんか。それで、私は初めタルシシュへのがれようとしたのです。私は、あなたが情け深くあわれみ深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていたからです。
4:3 【主】よ。今、どうぞ、私のいのちを取ってください。私は生きているより死んだほうがましですから。」
4:4 【主】は仰せられた。「あなたは当然のことのように怒るのか。」
4:5 ヨナは町から出て、町の東のほうにすわり、そこに自分で仮小屋を作り、町の中で何が起こるかを見きわめようと、その陰の下にすわっていた。
4:6 神である【主】は一本のとうごまを備え、それをヨナの上をおおうように生えさせ、彼の頭の上の陰として、ヨナの不きげんを直そうとされた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。
4:7 しかし、神は、翌日の夜明けに、一匹の虫を備えられた。虫がそのとうごまをかんだので、とうごまは枯れた。
4:8 太陽が上ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は衰え果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」
4:9 すると、神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」
4:10 【主】は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。
4:11 まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」

神を避ける人・人を求める神

2015年11月15日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>

逃亡するヨナ

神の命令に反して、ヨナは反対方向の地中海に面したヨッパという港に行き船でタルシシュへ向かったのです。ニネベに神の裁きを伝え、ニネベが滅亡するのには賛成である、しかし、神様は、憐れみ深く情け深く、ニネベへの災いを思いとどめる方であることをヨナは知っていたというのです。だから、自分が遣わされるのは、ニネベの人々の救いためなのだ。「それだったら、わたしはいやです。」というのがヨナの心でした。神様はニネベの人々を惜しんでおられるのです。自らの罪によって何をしているのかわからない、滅びに向かっている人間を惜しんでおられるのです。それは、あの放蕩息子を愛し悔い改めたのを喜んで赦した父の気持ちです。また、イエス様は十字架上の心です。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」と聖書には書かれています。

人とかかわり続けられる神

ヨナは、神様からの命令をいただいたときに「私にはできません」とお断りしました。そういう場合、人間社会では、別の人にお願いすることが多いと思います。しかし、神はヨナとかかわり続けられたのです。神様は大風を起こされました。神は自然界を用いてヨナに近づこうとされました。私たちの周りで起こる様々な自然災害にも意味があるのです。すべてのことは神の許しがなければ起こらないことだからです。神は意味なく私たちを苦しめたりすることはないのです。それは、神が私たちにかかわりたいと思っておられることです。試練が起こったときには、神が近づいてくださっているということです。私たち人間の目では遠くにおられるように感じても神は近くにいてくださるのです。神は、信じる者のためにはすべてのことを働かせて益としてくださると約束してくださっています。試練や災害にあったときにも神はいつも最善をなしてくださると信じる者は幸いなのです。

ヨナは自分を海に投げ込めば嵐は静かになることを言い、この激しい暴風は自分のためにみんなに臨んでいることを言いました。ヨナには、まだ、自分は正しいという思いがありました。だから、ヨナの心は神から逃げているのです。神と向き合おうとしていないのです。神はヨナの心を求められたのです。同様に神様は私たちとかかわり続けてくださいます。私たちは自分が正しいと思っている時は、神から逃げているのです。神様があなたを求めておられるからです。ついに、神様は非常手段を用いて、ヨナの心をご自身に向けさせたのです。水夫たちはついにヨナを海に投げ込むのでした。主はヨナを救うために大きな魚を用意されたとあります。ヨナは大きな魚の腹の中で、神に祈ったとあります。彼は海に投げられて死の恐怖を味わい、彼は黄泉の淵から神を見上げたのです。心を神に向け神と向き合ったのです。ヨナは神様と向き合い、感謝をしました。

復活のキリストが救ってくださる

イエス様は、ヨナが三日間魚の腹にいたことをマタイの福音書で、ヨナの奇跡として取り上げました。「ヨナは三日三晩大魚の腹の中にいましたが、同様に、人の子も三日三晩、地の中にいるからです。」これは何を意味しているのでしょうか。ヨナは、神から逃げる私たち人間の姿でありますが、同時に、死んで復活したイエス様を指し示しています。人間はアダム以来、神から逃げてきました。私たちクリスチャンも神から逃げていたのですが、捕えられて、今、神の子とされています。神様は忍耐の限りを尽くしてかかわり続けてくださいます。そのお心は、私たちを滅ぼすのではなく、救うためです。忍耐と愛を示してくださいます。そして、その極めつけは十字架での身代わりの死です。そして、御子キリストの復活により、最後の敵である死さえ恐れるに値しないものとしてくださいました。

<聖書>ヨナ書1章1~17節

1:1 アミタイの子ヨナに次のような【主】のことばがあった。
1:2 「立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」
1:3 しかしヨナは、【主】の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、【主】の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。
1:4 さて、【主】は大風を海に吹きつけられた。それで海に激しい暴風が起こり、船は難破しそうになった。
1:5 水夫たちは恐れ、彼らはそれぞれ、自分の神に向かって叫び、船を軽くしようと船の積荷を海に投げ捨てた。しかし、ヨナは船底に降りて行って横になり、ぐっすり寝込んでいた。
1:6 船長が近づいて来て彼に言った。「いったいどうしたことか。寝込んだりして。起きて、あなたの神にお願いしなさい。あるいは、神が私たちに心を留めてくださって、私たちは滅びないですむかもしれない。」
1:7 みなは互いに言った。「さあ、くじを引いて、だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったかを知ろう。」彼らがくじを引くと、そのくじはヨナに当たった。
1:8 そこで彼らはヨナに言った。「だれのせいで、このわざわいが私たちに降りかかったのか、告げてくれ。あなたの仕事は何か。あなたはどこから来たのか。あなたの国はどこか。いったいどこの民か。」
1:9 ヨナは彼らに言った。「私はヘブル人です。私は海と陸を造られた天の神、【主】を恐れています。」
1:10 それで人々は非常に恐れて、彼に言った。「何でそんなことをしたのか。」人々は、彼が【主】の御顔を避けてのがれようとしていることを知っていた。ヨナが先に、これを彼らに告げていたからである。
1:11 彼らはヨナに言った。「海が静まるために、私たちはあなたをどうしたらいいのか。」海がますます荒れてきたからである。
1:12 ヨナは彼らに言った。「私を捕らえて、海に投げ込みなさい。そうすれば、海はあなたがたのために静かになるでしょう。わかっています。この激しい暴風は、私のためにあなたがたを襲ったのです。」
1:13 その人たちは船を陸に戻そうとこいだがだめだった。海がますます、彼らに向かって荒れたからである。
1:14 そこで彼らは【主】に願って言った。「ああ、【主】よ。どうか、この男のいのちのために、私たちを滅ぼさないでください。罪のない者の血を私たちに報いないでください。【主】よ。あなたはみこころにかなったことをなさるからです。」
1:15 こうして、彼らはヨナをかかえて海に投げ込んだ。すると、海は激しい怒りをやめて静かになった。
1:16 人々は非常に【主】を恐れ、【主】にいけにえをささげ、誓願を立てた。
1:17 【主】は大きな魚を備えて、ヨナをのみこませた。ヨナは三日三晩、魚の腹の中にいた。

神の時を読む

2015年11月8日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>

王の前に立つエステルの勇気と知恵

エステルは、モルデカイに命じて、三日間、シュシャンの町にいるユダヤ人に断食し祈るよう伝えました。エステルは召されないで王の前に出るのを恐れを持っていました。しかし、エステルは「私は死ななければならないのなら、死にます」と言って、王の前に出る決意をしたのです。先がわからないけれど、神は最善をなしてくださる、信じて踏み出していく、これが信仰です。王は金の笏をエステルにさし伸ばしたのです。王は彼女に言った。「どうしたのだ。王妃エステル。何がほしいのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」それに対して、エステルは王にその場でユダヤ人の救いを願うのではなく、その日の午後に、宴会を開いて王とハマンを招くのです。

そして、その日の午後にエステルは宴会を開き王とハマンが出席します。王は、エステルの望みの真意を知りたくてもう一度、「どうしたのだ。王妃エステル。何がほしいのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」王は彼女に言いました。それに対して、エステルは丁寧にもう一度明日の宴会に来てくれるように願います。

第一回目の宴会で、王はエステルの真意を知ることができずにいました。王はその夜眠ることができなかったと書いています。そして、かつて、エステルの進言で、二人の宦官による王殺害計画が未然に防止できたことを知りました。ユダヤ人モルデカイに褒賞を与えていないことに気づきます。朝になったら早速そのことに対処しようと思ったのです。

ハマンは宴会後、上機嫌で家路に着こうとしましたが、そこで、門のところにいた憎きモルデカイに会います。ハマンは喜び上機嫌であったのにモルデカイにより、憤りに満たされたのです。そして、我慢して家に帰り、今度は妻や友人たちを呼んで、自分の自慢話をしています。

ハマンは神を信じていなかったので、人がどう見るかで自分の価値を決めているのです。結局自己のアイデンティティ―がないのです。ですから、人々から持ち上げられたいのです。

クリスチャンは人の評判をあまり気にする必要はなのです。神のあなたへの評価は、みことばによる宣言によってうらづけられています。神の御子イエス・キリストが十字架で罪の身代わりとなって死んでくださったことを信じた人々は、「神の子」であると宣言されているからです。

ハマンは、ユダヤ人絶滅の勅令が実行されるまで、待つことができずに、モルデカイに対する怒りに燃えました。王の許可を得て処刑してからエステルの宴会に臨むためにハマンはその日の中に柱を立てて、準備をしたのです。

逆転勝利を与える神の時

翌日の朝、神の時が分刻みで動き始めるのです。まず、王がモルデカイへの報酬について誰かに相談したいと思ったのです。その時、モルデカイを木にかけることを上程しに来たハマンを見つけ、王はハマンに相談します。ハマンは王が栄誉を与えたいと思っているのは自分以外にないと誤解して進言します。王はハマンの提案通りにするように命じます。それは、ハマンの憎きモルデカイに王服を着せて馬にのせて、「王が栄誉を与えたいと思われる人はこの通りである」と叫ぶことでした。なんと大きな皮肉なのでしょう。大きな逆転劇がおきたのです。

ハマンが持ち出したユダヤ人絶滅計画でしたが、ユダヤ人のモルデカイが王の好意を得たということでは、そのことで自分が窮地に立たされることに気づいたでしょう。

そうこうしているうちに第二回目のエステルの宴会へ王宮から係りの者が来てハマンを急き立てて連れてきたのです。

王は昨日と同じ質問をします。「どうしたのだ。王妃エステル。何がほしいのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」そして、ハマンは王の前で断罪されました。そして、彼は、モルデカイのために立てた木にかけられて処刑されました。

逆転勝利のユダヤ人

ここで初めて、王は、エステルとモルデカイの関係を知ります。王はハマンの代わりにモルデカイをその地位に就かせました。しかし、彼らの願いは言うまでもなくユダヤ民族の救済です。エステルは王に涙ながらに懇願しました。いったん王の封印をした法令は取り消すことができないのが決まりです。

そこで、王はユダヤ人を殺そうとする者に抵抗し正当防衛のために殺すことを許可した新しい法令を交付しました。

かくして、ユダヤ人にとって、その日は逆転勝利の日となったのです。それはユダヤ民族にとって記念の日となったのです。

歴史に働く神の時

歴史に働き歴史を作られる神は一人の人アブラハムを通して全人類を祝福なさろうとしました。そして、アブラハムの子孫であるイスラエル民族から人類の救い主がお生まれになるために歴史の中で、この民族をお守りになったのです。

人間をおつくりになった神は、天地万物を創造された神です。そして、聖書を通してご自身を掲示されています。そして、歴史を作り歴史を導いておられます。

神は人間をすべての被造物の最後におつくりになり、動植物は人間の管理下に置かれました。自然界は人間にとって素晴らしいものでした。しかし、最初の人間の罪によって堕落して、自然界も虚無に服し、人間にとって呪われた存在となりました。そのような人間を神は憐れみ、もう一度神のご支配に人間を取り戻すために、神は壮大な人類救済のご計画を進められたのです。

歴史を二分する紀元前と紀元後を分ける時に人間社会に来られた神の御子キリストの十字架と復活によって、救いの業の完成を見たのです。

その時以来「今は救いの日、恵の時」なのです。すべての国民民族にこの福音が述べ伝えられて終りが来ます。

終りの日は、救いの完成の時です。その時まで、今日の「救いと恵みの時代」は続くのです。今日の説教題は「神の時を読む」です。

聖書のことば通りに、二千年来福音は全世界に述べ伝えられて、世界で97%の人々が自分のことばで聖書を読み福音を聞くことができるようになりました。そうすると本当に終わりの時が近いと言えます。

今は救いと恵みの時代です。この時代には、イエス・キリストを自らの救い主と信じる者は誰でも救われるのです。

神は救いが完成するときまで、私たちクリスチャンを用いてその業を進めておられるのです。私たちが信仰をもって行う小さな決断でも神の歴史に刻まれているのです。

<聖書>エステル記5章1~14節

5:1 さて、三日目にエステルは王妃の衣装を着て、王室の正面にある王宮の内庭に立った。王は王室の入口の正面にある王宮の玉座にすわっていた。
5:2 王が、庭に立っている王妃エステルを見たとき、彼女は王の好意を受けたので、王は手に持っていた金の笏をエステルに差し伸ばした。そこで、エステルは近寄って、その笏の先にさわった。
5:3 王は彼女に言った。「どうしたのだ。王妃エステル。何がほしいのか。王国の半分でも、あなたにやれるのだが。」
5:4 エステルは答えた。「もしも、王さまがよろしければ、きょう、私が王さまのために設ける宴会にハマンとごいっしょにお越しください。」
5:5 すると、王は、「ハマンをせきたてて、エステルの言ったようにしよう」と言った。王とハマンはエステルが設けた宴会に出た。
5:6 その酒宴の席上、王はエステルに尋ねた。「あなたは何を願っているのか。それを授けてやろう。何を望んでいるのか。王国の半分でも、それをかなえてやろう。」
5:7 エステルは答えて言った。「私が願い、望んでいることは、
5:8 もしも王さまのお許しが得られ、王さまがよろしくて、私の願いをゆるし、私の望みをかなえていただけますなら、私が設ける宴会に、ハマンとごいっしょに、もう一度お越しください。そうすれば、あす、私は王さまのおっしゃったとおりにいたします。」
5:9 ハマンはその日、喜び、上きげんで出て行った。ところが、ハマンは、王の門のところにいるモルデカイが立ち上がろうともせず、自分を少しも恐れていないのを見て、モルデカイに対する憤りに満たされた。
5:10 しかし、ハマンはがまんして家に帰り、人をやって、友人たちと妻ゼレシュを連れて来させた。
5:11 ハマンは自分の輝かしい富について、また、子どもが大ぜいいることや、王が自分を重んじ、王の首長や家臣たちの上に自分を昇進させてくれたことなどを全部彼らに話した。
5:12 そして、ハマンは言った。「しかも、王妃エステルは、王妃が設けた宴会に、私のほかはだれも王といっしょに来させなかった。あすもまた、私は王といっしょに王妃に招かれている。
5:13 しかし、私が、王の門のところにすわっているあのユダヤ人モルデカイを見なければならない間は、これらのことはいっさい私のためにならない。」
5:14 すると、彼の妻ゼレシュとすべての友人たちは、彼に言った。「高さ五十キュビトの柱を立てさせ、あしたの朝、王に話して、モルデカイをそれにかけ、それから、王といっしょに喜んでその宴会においでなさい。」この進言はハマンの気に入ったので、彼はその柱を立てさせた。

今までがこの時のために

2015年11月1日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>

信仰が問われるとき

王はアガク人ハマンを王の大臣として任命し絶大な権限を彼に与えました。そして、王の命令で、ハマンが通るときは、人民はハマンに膝をかがめてひれ伏さなければならなくなりました。しかし、モルデカイはその命令に従わなかったのです。それに怒ったハマンはモルデカイ一人を処罰することで飽き足らず、ペルシャ帝国寄留のユダヤ人全部を絶滅させようと考えたのです。シュシャンの町も混乱に陥りました。モルデカイがハタクを通してエステルに伝えたことは、彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるようにということです。それに対して、エステルは、召されないで中庭に入り王のところへ行くものは、死刑に処せられるということ。そして、国を治める権威を一手に受けたハマンが提案した計画であり、一旦、決めて王の印で封印された法令は王も撤回できないことを伝えました。モルデカイは再びエステルに伝えます。「あなたは自分には関係ないと思ってはいけない。」「あなたはユダヤ人としての、神の民としての運命共同体に属しているのだ」と。私たちも本当に救いの恵みに与っているキリスト者であれば同じです。私たちも部外者のような生き方はできないのです。私たちは私たちの罪の身代わりとなって裁きを受けられたキリストを信じ、罪赦されて神の聖なる家族に入れられたのです。クリスチャンの方々は自らの信仰をもう一度問い直して、キリストの約束を思い起こして罪の赦しと永遠のいのちが与えられている事を再確認していただきたいと思います。エステルは自らの信仰を問われたのです。養父モルデカイは、「あなたがこの王国に来たのは、もしかしてこの時のためであるかもしれない」と言いました。そして、エステルは自分がこのことのために王宮に遣わされているという意識を持つことができたのです。私たちクリスチャンは、いつでもこの当事者意識に生きるのです。神の民としてのアイデンティティーをしっかり持って、信仰の根を張らなければなりません。

最善に導いてくださる神

エステルはモルデカイに再び返事を送ります。シュシャンにいるユダヤ人を集めて三日三晩断食をして祈ることを願うのです。それは、神の民として最善を尽くすということです。そして、信仰者としてまず祈りの中に備えるということです。「たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。「私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」信仰の決断は、先がわかってするものではありません。先は見えなくても、神様は最善をしてくださるのです。

問題を通して神に近づく

人類の未来は楽観できない状況です。日本も戦争に巻き込まれる危険を抱えています。若者も未来に希望が持てず、ストレスが増大しており、社会不安も広がっています。ますます先が見えない、社会に生きているということができます。信仰は先がわかってするものではありません。私たちは個人的にもそれぞれが大なり小なり問題を抱えています。すぐには答えが出ないこともあります。そして、いつも、道が開かれますようにと祈っています。先がわからないから祈ります。不安が常にあるから祈ります。そして、みことばの約束を思い浮かべます。そして、みことばをいただきます。みことばがあなたに励ましと力を与えるのです。私たちが、先がわからなくて不安になるのは、実は、みこころなのです。決して不信仰ではないのです。問題を抱えて悩み、右往左往するのは良いことです。なぜなら、その時に、神様に叫び求めるからです。そうして、神様の約束を再確認して生きていくのです。これがクリスチャンライフです。また私たちは過去に戻って見ると、数年前も先が見えなくて神様にお祈りしていました。問題を抱えていました。そして、その時に見えなかったことを今見ているのです。「今までが、このときのために」あったのです。その時には苦しく大変だったことであっても、神様はともにいて助けてくださった、神様はあわれみ深く素晴らしく導いてくださった、と賛美せずにはいられません。「今までのことが、今の働きのために」必要であったことに気づくのです。

重荷と苦しみを担ってくださるキリスト

なぜ、神様は一人ひとり、クリスチャンの人生を責任もって導いてくださっていると確信をもって言えるのでしょうか。それは、イエス・キリストの十字架です。イエス様は私たちの一切の苦しみを担ってくださったからです。私たちは、過去のあらゆる失敗や罪をもってこれまで歩んできました。人生を歩み出した時から私たちは誰でも意識するとしないとにかかわらず罪を積み重ねてきているのです。この世界に生きている限り、それらの罪から来ている様々な問題を抱えて苦しみながら生きていかなければなりません。イエス様は十字架を信じる者のすべての罪を赦し、その苦しみを担われたと言えます。イエス様はあなたの苦しみをご存知であなたを招いておられるのです。あなたの罪や重荷を担いますから、いらっしゃいと招いておられます。
<聖書>エステル記4章1~17章

4:1 モルデカイは、なされたすべてのことを知った。すると、モルデカイは着物を引き裂き、荒布をまとい、灰をかぶり、大声でひどくわめき叫びながら町の真ん中に出て行き、
4:2 王の門の前まで来た。だれも荒布をまとったままでは、王の門に入ることができなかったからである。
4:3 王の命令とその法令が届いたどの州においても、ユダヤ人のうちに大きな悲しみと、断食と、泣き声と、嘆きとが起こり、多くの者は荒布を着て灰の上にすわった。
4:4 そのとき、エステルの侍女たちと、その宦官たちが入って来て、彼女にこのことを告げたので、王妃はひどく悲しみ、モルデカイに着物を送って、それを着させ、荒布を脱がせようとしたが、彼はそれを受け取らなかった。
4:5 そこでエステルは、王の宦官のひとりで、王が彼女に仕えさせるために任命していたハタクを呼び寄せ、モルデカイのところへ行って、これはどういうわけか、また何のためかと聞いて来るように命じた。
4:6 それで、ハタクは王の門の前の町の広場にいるモルデカイのところに出て行った。
4:7 モルデカイは自分の身に起こったことを全部、彼に告げ、ハマンがユダヤ人を滅ぼすために、王の金庫に納めると約束した正確な金額をも告げた。
4:8 モルデカイはまた、ユダヤ人を滅ぼすためにシュシャンで発布された法令の文書の写しをハタクに渡し、それをエステルに見せて、事情を知らせてくれと言い、また、彼女が王のところに行って、自分の民族のために王にあわれみを求めるように彼女に言いつけてくれと頼んだ。
4:9 ハタクは帰って来て、モルデカイの伝言をエステルに伝えた。
4:10 するとエステルはハタクに命じて、モルデカイにこう伝えさせた。
4:11 「王の家臣も、王の諸州の民族もみな、男でも女でも、だれでも、召されないで内庭に入り、王のところに行く者は死刑に処せられるという一つの法令があることを知っております。しかし、王がその者に金の笏を差し伸ばせば、その者は生きます。でも、私はこの三十日間、まだ、王のところへ行くようにと召されていません。」
4:12 彼がエステルのことばをモルデカイに伝えると、
4:13 モルデカイはエステルに返事を送って言った。「あなたはすべてのユダヤ人から離れて王宮にいるから助かるだろうと考えてはならない。
4:14 もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」
4:15 エステルはモルデカイに返事を送って言った。
4:16 「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます。」
4:17 そこで、モルデカイは出て行って、エステルが彼に命じたとおりにした。