信仰による決断・与える人生

2015年10月25日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>

十字架を通して神を見ると?

最初は、ナオミと夫のエリメレク、子供のマフロンとキルヨンの四人でモアブの地に移りました。その後、夫が亡くなり、二人の息子はそれぞれモアブの女性と結婚します。そして、十年の時が流れました。そうしたら二人の息子もなくなったのです。ナオミは、失意の中で生きる喜びを失い、悲嘆に暮れていたと思います。人の人生には何が起こるかわかりません。2011年の東日本大震災でも、一度に子供たちと夫や妻を亡くした人々がたくさんいました。クリスチャンになれば、そのような禍に会うことがないとは聖書は教えていません。また、因果応報と言って先祖や自分の罪の報いとして災いが起こるとも言っていません。神はそのような禍と思えることが私たちに起こることを許されることがあるということです。だから、神は意地悪で恐ろしい方でしょうか。否です。神は愛なる方、私たちを祝福される方であります。それは、イエス・キリストの十字架を見ればわかるのです。それはご自身のいのちを捨てることを厭わないほど人間を愛しておられるということです。キリストが「私を見る者は神を見ているのです」と言われました。キリストを見る時に神は愛と赦しの神であることがわかるのです。

信仰による決断が歴史を作る

ルツはナオミにすがりついてはなれず、言いました。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。」ルツは、人生の選択で困難な方を取りました。人生は選択である、と言われている通り、様々な場面で私たちは右か左か決断し選び取っていくのです。将来を考える時に、メリットデメリットを天秤にかけて選び取っていくというのは普通のことです。しかし、ルツは傍から見ても不利と思われる選択をしました。ルツはナオミに献身したのです。これは神への献身であったのです。信仰の決断、信仰による選択だったのです。この世のメリットデメリット、世の損得を超越する世界があることをクリスチャンは知らなければなりません。私が大学生の時に、東大でドイツ文学を専攻していて将来を保証されている方なのにそれを捨てて、牧師になった方がおられました。彼は損得を超えた信仰による決断をしたのです。ザアカイは、信仰によって、財産の半分を貧しい人に施し、不正にとったお金は四倍にして返しました。これも損得を超えた信仰による決断です。それとは反対に、ルツの先祖でアブラハムの甥のロトは、自分の利益を優先しました。ロトは自分にとって有利と思われる土地を選んで進んでいきました。しかし、そこに住む人々は邪悪で彼と彼の家族はその影響を受けて、悪に傾いていったのです。そこには信仰による決断はなかったのです。ルツは信仰による決断で、イスラエル民族の中に加わりました。ボアズと結婚して、異邦人ルツはイエス・キリストの系図に書き入れられました。彼女は神の救いの歴史に刻まれ、ルツの信仰と愛は人類の歴史が続く限り語り継がれています。信仰によって、損得を考えないでイエス様を愛したベタニヤのマリヤのことも覚えます。「まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」とイエス様が言われました。このように信仰による決断を神は喜ばれて大いに祝福してくださるということがわかります。へブル書に、「信仰がなければ喜ばれません」とある通りです。

罪人に与え尽くすイエス・キリスト

人としてのイエス様は罪びとのためにご自身を与え尽くされました。ご自身を侮辱して十字架につけた人々を赦し、その人たちを含むすべての人間の罪を自ら負われて、神の怒りの盃を飲み干してくださいました。それは、十字架上での想像に絶する苦しみでした。そのようにイエス様は罪人に最後まで向き合ってくださったのです。そして今も向き合っていてくださっているのです。今、皆さんがそれぞれに抱えている問題を自分だけにとどめないでください。イエス様にお話ししましょう。イエス様はあなたの悩みや問題を聞きたいと思っておられるのです。イエス様は、ご自身をなだめのかおりの供え物として、ご自身を人類すべての罪の贖いの代価として、いのちを差し出すという決断をなさったのです。そのことによって、信じる者を完全に救うことがおできになるのです。人はだれでも、自分にとって有利なことを選び取っていきます。集めることに一生懸命になります。しかし、人にとって不滅のものは自分のために集めたものではないのです。むしろ与えたものです。『受けるよりも与えるほうが幸いである。』ご自分を与え尽くしたイエス様の普及のみことばをもう一度心に刻みたいと思います。ルツ記は、ハッピーエンドです。信仰によって決断していく人はハッピーエンドです。たとえ死の影の谷を歩くことがあっても災いを恐れません、と詩編の記者書きしるしたように、信仰者はどんなことがあっても最後は、ハッピーエンドの人生なのです。今、イエス様はあなたを見つめておられます。そして、ご自身を今日も差し出して「さあ受け取りなさい」と。ご自身のいのちをお与えになるのです。

<聖書>ルツ記1章1~17節

1:1 さばきつかさが治めていたころ、この地にききんがあった。それで、ユダのベツレヘムの人が妻とふたりの息子を連れてモアブの野へ行き、そこに滞在することにした。
1:2 その人の名はエリメレク。妻の名はナオミ。ふたりの息子の名はマフロンとキルヨン。彼らはユダのベツレヘムの出のエフラテ人であった。彼らがモアブの野へ行き、そこにとどまっているとき、
1:3 ナオミの夫エリメレクは死に、彼女とふたりの息子があとに残された。
1:4 ふたりの息子はモアブの女を妻に迎えた。ひとりの名はオルパで、もうひとりの名はルツであった。こうして、彼らは約十年の間、そこに住んでいた。
1:5 しかし、マフロンとキルヨンのふたりもまた死んだ。こうしてナオミはふたりの子どもと夫に先立たれてしまった。
1:6 そこで、彼女は嫁たちと連れ立って、モアブの野から帰ろうとした。モアブの野でナオミは、【主】がご自分の民を顧みて彼らにパンを下さったと聞いたからである。
1:7 そこで、彼女はふたりの嫁といっしょに、今まで住んでいた所を出て、ユダの地へ戻るため帰途についた。
1:8 そのうちに、ナオミはふたりの嫁に、「あなたがたは、それぞれ自分の母の家へ帰りなさい。あなたがたが、なくなった者たちと私にしてくれたように、【主】があなたがたに恵みを賜り、
1:9 あなたがたが、それぞれ夫の家で平和な暮らしができるように【主】がしてくださいますように」と言った。そしてふたりに口づけしたので、彼女たちは声をあげて泣いた。
1:10 ふたりはナオミに言った。「いいえ。私たちは、あなたの民のところへあなたといっしょに帰ります。」
1:11 しかしナオミは言った。「帰りなさい。娘たち。なぜ私といっしょに行こうとするのですか。あなたがたの夫になるような息子たちが、まだ、私のお腹にいるとでもいうのですか。
1:12 帰りなさい。娘たち。さあ、行きなさい。私は年をとって、もう夫は持てません。たとい私が、自分には望みがあると思って、今晩でも夫を持ち、息子たちを産んだとしても、
1:13 それだから、あなたがたは息子たちの成人するまで待とうというのですか。だから、あなたがたは夫を持たないままでいるというのですか。娘たち。それはいけません。私をひどく苦しませるだけです。【主】の御手が私に下ったのですから。」
1:14 彼女たちはまた声をあげて泣き、オルパはしゅうとめに別れの口づけをしたが、ルツは彼女にすがりついていた。
1:15 ナオミは言った。「ご覧なさい。あなたの弟嫁は、自分の民とその神のところへ帰って行きました。あなたも弟嫁にならって帰りなさい。」
1:16 ルツは言った。「あなたを捨て、あなたから別れて帰るように、私にしむけないでください。あなたの行かれる所へ私も行き、あなたの住まれる所に私も住みます。あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です。
1:17 あなたの死なれる所で私は死に、そこに葬られたいのです。もし死によっても私があなたから離れるようなことがあったら、【主】が幾重にも私を罰してくださるように。」

 

和解と赦しの道筋

2015年10月18日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>

罪の負債を清算できない人間

彼らは、過去のヨセフに対する自分たちの悪行に対して後悔しておりました。一人の人の人生を奪った罪は大きいのです。罪は呪いとなって帰ってきます。ヨセフの兄弟たちには、罪の負債を返すことのできない人間の姿が描き出されています。「彼の血の報いを受けているのだ」とルベンは言っています。これは、罪の呪いを恐れる人間の姿です。罪の結果は刈りとらなければならないのです。外面に現れない心の罪も含めてすべての罪の負債は個人個人の中に積もり積もっているのです。それは、マタイ18章にある一万タラントの負債です。返済不能です。そのままでは決して消えることはありません。なぜなら、イエスさまが、「天地が滅びうせない限り、律法の中の一点一画でも決してすたれることはありません。」と言われました。つまり、律法が生きている限り罪は消えないのです。罪を消す唯一の方法はキリストの十字架です。それ以外の方法はありません。罪はその代価を払うことによってのみ取り除くことができるからです。罪のない神のひとり子が人間のすべての罪を背負い身代わりとなってすべての罪の罰を受けてくださったことによるのです。罪がある限り最後の時に罪に対する容赦のない神のさばきがあるのです。私たちの家族友人でまだ、キリストの十字架の贖いを受け取っておられない方々には機会のあるたびに勧めたいと思います。食料をもってカナンに戻ったのですが、そのうち食糧が底をつきました。ユダがヤコブを説得しついに兄たちはベニヤミンを連れてエジプトに出発するのです。弟ベニヤミンに再会したヨセフは高ぶる気持ちを何とか抑え兄弟たちと食事をしました。しかし、まだ、兄たちを信用しきれないヨセフは、もう一度彼らを試みることにしました。彼らに食料を持たせて帰らせたのですが、ベニヤミンの袋にヨセフの盃を入れておいたのです。兄弟たちの帰り道にヨセフのしもべが彼らに追いつきました。盃をベニヤミンの袋に発見した彼らは全員ヨセフの元に戻りました。ヨセフは、ベニヤミンを泥棒としてエジプトで奴隷として残すことを命じたのです。その時、ユダがひれ伏して弁明するのです。

和解に立ってくださるキリスト

四男のユダは、ヨセフに言います。ベニヤミンの代わりに自分をヨセフの奴隷としてほしいと。ユダのこの言葉が、ヨセフの心を溶かしたのです。ヨセフのテストがこの方法でした。兄たちはヨセフの命をエジプトに売り飛ばしたという罪がありました。ヨセフはその自分の命の代価を兄たちに払ってもらいたかったのです。すなわち、二十数年前に戻って、エジプト人の手から自分の命を買い戻してもらいと願ったのです。しかし、過去に戻れませんのでそれは無理なことです。そこで、ヨセフは自分の命を罪のない弟のベニヤミンに負わせたのです。もし、昔と同じで悔い改めていないのなら、ベニヤミンをエジプトに残して彼らはカナンに帰るでしょう。しかし、ユダが自分の命を身代わりとしてベニヤミンの命を救おうとしたのです。これにより、ヨセフも救われたのです。このユダの決意は、神の目にも喜ばれました。また、神はユダに特別な祝福をお与えになりました。それは、ユダの子孫にダビデ王が出て、さらにその子孫にイエス・キリストがお生まれになったのです。ユダは、ヨセフと兄弟たちの和解のための身代わりとなったのです。ユダの子孫、そしてダビデの子孫であるイエス・キリストも神と人類の和解のために身代わりとなったのです。ユダの決意によってイスラエル民族は救われたのです。ユダが和解をもたらしたのです。イエス様の決意と実行によって、人類は罪と死と悪魔から救われたのです。ユダによってヨセフのこころが溶けたようにイエス・キリストによって、神の怒りは通り過ぎたのです。イエス・キリストを信じる者は死んで滅びることなく永遠のいのちが与えられるのです。

大いなる救いを与える神

ユダの申し出を聞いて、ヨセフは兄弟たちを本当に赦すことができたのです。ヨセフは神の摂理、ご計画を語るのです。ヨセフは兄弟たちに言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。」と。それは、節理の中にイスラエル一族に大いなる救いを与えるためでありました。

それから四百年後、出エジプトを迎えるのです。罪と悪の世を表すエジプトの奴隷生活から解放されるのです。そして、イスラエル民族のユダ族の子孫にイエス・キリストが与えられるのです。神は、兄たちの失敗やヨセフの苦難もすべてを益に変える力を持っておられます。私たちにとって絶対絶命と思える状況にあってもキリストの大いなる救いがあるのです。その救いは確固たる救いです。その救いは根底からの救いです。何物も奪うことのできない救いです。キリストの十字架による救いは罪と死と悪魔からの救いです。この救いをいただくにはどうしたらよいのでしょうか。それはただイエス・キリストを信じて受けることです。

<聖書>創世記44:30~34、45:1~15
44:30 私が今、あなたのしもべである私の父のもとへ帰ったとき、あの子が私たちといっしょにいなかったら、父のいのちは彼のいのちにかかっているのですから、
44:31 あの子がいないのを見たら、父は死んでしまうでしょう。そして、しもべどもが、あなたのしもべであるしらが頭の私たちの父を、悲しみながら、よみに下らせることになります。
44:32 というのは、このしもべは私の父に、『もし私があの子をあなたのところに連れ戻さなかったら、私は永久にあなたに対して罪ある者となります』と言って、あの子の保証をしているのです。
44:33 ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。
44:34 あの子が私といっしょでなくて、どうして私は父のところへ帰れましょう。私の父に起こるわざわいを見たくありません。」

45:1 ヨセフは、そばに立っているすべての人の前で、自分を制することができなくなって、「みなを、私のところから出しなさい」と叫んだ。ヨセフが兄弟たちに自分のことを明かしたとき、彼のそばに立っている者はだれもいなかった。
45:2 しかし、ヨセフが声をあげて泣いたので、エジプト人はそれを聞き、パロの家の者もそれを聞いた。
45:3 ヨセフは兄弟たちに言った。「私はヨセフです。父上はお元気ですか。」兄弟たちはヨセフを前にして驚きのあまり、答えることができなかった。
45:4 ヨセフは兄弟たちに言った。「どうか私に近寄ってください。」彼らが近寄ると、ヨセフは言った。「私はあなたがたがエジプトに売った弟のヨセフです。
45:5 今、私をここに売ったことで心を痛めたり、怒ったりしてはなりません。神はいのちを救うために、あなたがたより先に、私を遣わしてくださったのです。
45:6 この二年の間、国中にききんがあったが、まだあと五年は耕すことも刈り入れることもないでしょう。
45:7 それで神は私をあなたがたより先にお遣わしになりました。それは、あなたがたのために残りの者をこの地に残し、また、大いなる救いによってあなたがたを生きながらえさせるためだったのです。
45:8 だから、今、私をここに遣わしたのは、あなたがたではなく、実に、神なのです。神は私をパロには父とし、その全家の主とし、またエジプト全土の統治者とされたのです。
45:9 それで、あなたがたは急いで父上のところに上って行き、言ってください。『あなたの子ヨセフがこう言いました。神は私をエジプト全土の主とされました。ためらわずに私のところに下って来てください。
45:10 あなたはゴシェンの地に住み、私の近くにいることになります。あなたも、あなたの子と孫、羊と牛、またあなたのものすべて。
45:11 ききんはあと五年続きますから、あなたも家族も、また、すべてあなたのものが、困ることのないように、私はあなたをそこで養いましょう』と。
45:12 さあ、あなたがたも、私の弟ベニヤミンも自分の目でしかと見てください。あなたがたに話しているのは、この私の口です。
45:13 あなたがたは、エジプトでの私のすべての栄誉とあなたがたが見たいっさいのこととを私の父上に告げ、急いで私の父上をここにお連れしてください。」
45:14 それから、彼は弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。ベニヤミンも彼の首を抱いて泣いた。
45:15 彼はまた、すべての兄弟に口づけし、彼らを抱いて泣いた。そのあとで、兄弟たちは彼と語り合った。

共にいてくださる神

2015年10月11日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>

共にいてくださる神

ヨセフは17歳の時に肉親である兄たちに裏切られて、ただ一人、奴隷の身でエジプトへ連れてこられました。そこで、やっとエジプトで王様の高官の家で認められ、愛されて、信用されました。主が共におられたからです。主人は全財産の管理をヨセフにゆだねたとあります。しかし、主人ポティファルの妻によって無実の罪で牢獄につながれるのです。そこでも主はヨセフとともにおられたので、監獄の長はすべての囚人の管理をヨセフに任せました。そのようにヨセフのすることはすべて成功するのです。これは、主はヨセフのゆえに、周りの人々を祝福されたのです。これは、アブラハムに与えられた「あなたによってすべての国民は祝福される」という約束の実現です。私たちクリスチャンもこの約束をいただいています。ですから、クリスチャンの皆さんを通してみなさんの周りにいる家族、知人、職場の方々も神の祝福を受けているのです。主イエス様の約束は、聖霊なる神がいつまでもあなたがたとともにおられることです。神は決して遠くにおられません。私たちのそばにいてくださいます。主がヨセフとともにいてくださる、それは、ヨセフの側からは、神をいつもそばに意識していたということです。神は私たちが思えばそこにいてくださるのです。ヨセフは素直に神が自分とともにいてくださることを意識し、感じ、信じていたのです。主がともにいてくださるということを信仰によって受け止めた時に、それは現実のものとなっていくのです。

すべてのことを益と変えてくださる神

ヨセフは17歳でエジプトに売られ、ポティファルの家と牢獄で計13年間を過ごしました。聖書は記事をそのまま時系列で記載していますが、ヨセフのその間の苦しみや葛藤は書かれていません。しかし、ヨセフは牢獄でも神がともにいてくださり、他の囚人たちの管理を任されていました。ある時、パロは夢を見ました。二つの夢でしたが、それは同じ意味をあらわしていました。それは、七年の豊作のあと七年の飢きんが来るという意味でした。パロの夢を解き明かしたヨセフは、そのことによりパロから徴用され、パロに次ぐ第二の権威をあたえられたのです。ヨセフは七年間の豊作の間にできる限りの蓄えをしました。七年間の食糧備蓄という大事業を推進するために、彼は計画し、立案し、実行していったのです。それは、ポティファルの家で主人の家財や土地や資産を管理運用し、使用人の労務など扱った経験が生かされたのです。また、牢獄での管理の仕事の経験がすべて生かされたのです。このように神はわたくしたちとってやがて必要となる訓練を今、与えて下さっています。皆さんも今やっていることで意味を見いだせないと思うことがあるかもしれません。今はわからなくても後でわかるのです。皆さんも、今の苦難や困難を驚き怪しむことなく、神を見上げ神を信頼していっていただきたいと思います。

苦しみをになって救ってくださる神

ヨセフはエジプトを救いました。イスラエル民族を救いました。ここにもキリストのひな型としてのヨセフがあります。ヨセフは無実の罪を着せられて、苦難の道を歩かせられました。イエスさまは十字架で私たちの罪をになって私たちのために苦しんでくださいました。世界中の人々がヨセフのところに来て、命を救われたのです。同様にキリストに来るすべての人のいのちをお救い下さるのです。イエス様の救いは、罪と死と悪魔からの救いです。人間の最後の敵である死からもお救いくださるのです。その救いのもたらすものは永遠のいのちです。

<聖書>創世記39:1~8、20~23、41:1~16、25~32
39:1 ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。
39:2 【主】がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。
39:3 彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。
39:4 それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。
39:5 主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、【主】はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで【主】の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。
39:6 彼はヨセフの手に全財産をゆだね、自分の食べる食物以外には、何も気を使わなかった。しかもヨセフは体格も良く、美男子であった。
39:7 これらのことの後、主人の妻はヨセフに目をつけて、「私と寝ておくれ」と言った。
39:8 しかし、彼は拒んで主人の妻に言った。「ご覧ください。私の主人は、家の中のことは何でも私に任せ、気を使わず、全財産を私の手にゆだねられました。

39:20 ヨセフの主人は彼を捕らえ、王の囚人が監禁されている監獄に彼を入れた。こうして彼は監獄にいた。
39:21 しかし、【主】はヨセフとともにおられ、彼に恵みを施し、監獄の長の心にかなうようにされた。
39:22 それで監獄の長は、その監獄にいるすべての囚人をヨセフの手にゆだねた。ヨセフはそこでなされるすべてのことを管理するようになった。
39:23 監獄の長は、ヨセフの手に任せたことについては何も干渉しなかった。それは【主】が彼とともにおられ、彼が何をしても、【主】がそれを成功させてくださったからである。

41:1 それから二年の後、パロは夢を見た。見ると、彼はナイルのほとりに立っていた。
41:2 ナイルから、つやつやした、肉づきの良い七頭の雌牛が上がって来て、葦の中で草をはんでいた。
41:3 するとまた、そのあとを追ってほかの醜いやせ細った七頭の雌牛がナイルから上がって来て、その川岸にいる雌牛のそばに立った。
41:4 そして醜いやせ細った雌牛が、つやつやした、よく肥えた七頭の雌牛を食い尽くした。そのとき、パロは目がさめた。
41:5 それから、彼はまた眠って、再び夢を見た。見ると、肥えた良い七つの穂が、一本の茎に出て来た。
41:6 すると、すぐそのあとから、東風に焼けた、しなびた七つの穂が出て来た。
41:7 そして、しなびた穂が、あの肥えて豊かな七つの穂をのみこんでしまった。そのとき、パロは目がさめた。それは夢だった。
41:8 朝になって、パロは心が騒ぐので、人をやってエジプトのすべての呪法師とすべての知恵のある者たちを呼び寄せた。パロは彼らに夢のことを話したが、それをパロに解き明かすことのできる者はいなかった。
41:9 そのとき、献酌官長がパロに告げて言った。「私はきょう、私のあやまちを申し上げなければなりません。
41:10 かつて、パロがしもべらを怒って、私と調理官長とを侍従長の家に拘留なさいました。
41:11 そのとき、私と彼は同じ夜に夢を見ましたが、その夢はおのおの意味のある夢でした。
41:12 そこには、私たちといっしょに、侍従長のしもべでヘブル人の若者がいました。それで彼に話しましたところ、彼は私たちの夢を解き明かし、それぞれの夢にしたがって、解き明かしてくれました。
41:13 そして、彼が私たちに解き明かしたとおりになり、パロは私をもとの地位に戻され、彼を木につるされました。」
41:14 そこで、パロは使いをやってヨセフを呼び寄せたので、人々は急いで彼を地下牢から連れ出した。彼はひげをそり、着物を着替えてから、パロの前に出た。
41:15 パロはヨセフに言った。「私は夢を見たが、それを解き明かす者がいない。あなたについて言われていることを聞いた。あなたは夢を聞いて、それを解き明かすということだが。」
41:16 ヨセフはパロに答えて言った。「私ではありません。神がパロの繁栄を知らせてくださるのです。」

41:25 ヨセフはパロに言った。「パロの夢は一つです。神がなさろうとすることをパロに示されたのです。
41:26 七頭のりっぱな雌牛は七年のことで、七つのりっぱな穂も七年のことです。それは一つの夢なのです。
41:27 そのあとから上がって来た七頭のやせた醜い雌牛は七年のことで、東風に焼けたしなびた七つの穂もそうです。それはききんの七年です。
41:28 これは、私がパロに申し上げたとおり、神がなさろうとすることをパロに示されたのです。
41:29 今すぐ、エジプト全土に七年間の大豊作が訪れます。
41:30 それから、そのあと、七年間のききんが起こり、エジプトの地の豊作はみな忘れられます。ききんが地を荒れ果てさせ、
41:31 この地の豊作は後に来るききんのため、跡もわからなくなります。そのききんは、非常にきびしいからです。
41:32 夢が二度パロにくり返されたのは、このことが神によって定められ、神がすみやかにこれをなさるからです。

救いを成就する神の歴史

2015年10月4日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>

みことばによりお語りくださる神

古代世界においては、夢と幻は非常に重要でありました。それは、聖書が完成するまでの期間に特に大切であったと思います。神様はみ心を伝えるのに夢と幻を用いられました。旧約の時代ばかりでなく、新約の時代に入ってからも、夢と幻は用いられました。今は、聖書は完成されて、私たち人間が、救われるために必要なすべての内容は聖書に啓示されています。ですから、現代においては、夢や幻、奇跡や預言は旧約の時代や使徒の時代の様には私たちの目で見ることは少なくなったと言えます。聖霊は聖書の言葉をもって私たち一人ひとりに語りかけてくださいます。ですから夢や幻によらなくても私たちは聖書から神様のみ思い、み心を知ることができるのです。世のことばは聖書のことばより多く私たちの耳から入ってきます。ですから、聖書を読みましょう。一週間聖書のことばを全く見なかったということがないようにしましょう。世の流れは強く私たちを神から引き離そうとしているからです。

憎しみと殺意による人間の歴史

イスラエルすなわちヤコブのヨセフに対する偏愛、他の兄弟たちをさしおいて特別扱いしていました。それが兄弟たちのねたみを生んでいたのです。さらに彼は、自分が見た夢を兄弟たちに話しました。「ヨセフは夢を見てそれを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。」とある通りです。兄たちのヨセフに対するねたみと殺意をはっきりと読み取ることができます。そのとき長男のルベンが殺害を思いとどまらせました。そして結果的にはヨセフはエジプトへ向かう商人の一行に売り飛ばされたのです。イスラエル民族は神に選ばれた民です。しかし、アブラハム、イサク、ヤコブのそれぞれの家庭を見ると、それぞれの兄弟たちの間でいさかい、もめ事がありました。イスラエル民族をさかのぼる人類の最初の人であるアダムとイブの子であるアベルとカインを見ても、カインがアベルをねたみから殺害しました。家族間の争いというのは、アダムの堕落依頼、全人類を覆っています。現在民族間の争いももとをただせば、兄弟同士の争いです。世界はますます、憎しみと復讐の連鎖に陥っています。昨今の世界情勢を見てもシリヤでは内戦で国民の半分が難民となっています。国連内も大国の利害関係もあって、対立しています。お互いの国同士が関係を改善するために協議が積まれています。それでも、とても強い悪の力が働いて、世界が破壊と無秩序に向かわせられているように感じます。背後に働く見えない悪の力があるのです。

救いを成就する神の歴史

このような憎しみと復讐の連鎖に陥っている人類とその歴史に対して、神はその歴史のただなかに生きて働かれ、歴史を通してずっと働き続けてこられました。また、今も強く働いておられます。この後、ヨセフはエジプトでパロの廷臣で侍従長のポティファルに売られて、そこで、奴隷として主人に仕えるのですが、ポティファルの妻により無実なのに罪を着せられて牢獄につながれました。しかし、神が彼と共にいたので、周りの人から信用されました。ある時、パロのみた夢を解き明かして、これから世界に起ころうとしている飢きんを見事に言い当てました。それがもとで、エジプトは救われたのです。そして、ヨセフはエジプトのパロに次ぐ人物となったのです。やがて飢きんのために、ヤコブの家族も飢えを覚えて、ヨセフの兄弟たちがエジプトに食料を買いにやってきました。そこで、ヨセフの夢が成就したのです。ヨセフは兄弟たちを赦し彼らを助けたのです。そして、イスラエル民族は増えて一民族を形成していくのです。神は罪人を愛しておられるのです。神は、彼らの罪や弱さからくる様々な事件や事柄に対しても、神はみ手を伸べて支えて助け、マイナスと思えることをも用いて神の救いのご計画を進め、マイナスをプラスに変えてくださるのです。ヨセフはイエス・キリストのひな型であるとされています。ヨセフの生涯はイエス様の生涯に似ているのです。イエス・キリストは人類の救いのために最も貧しい人間として生まれ、罪のないお方なのに人間のすべての罪を着せられて裁かれて十字架につけられ死んで葬られました。しかし、死人の内から復活し天に昇られて神の右に着かれました。万物の王であり支配者となられました。罪は世界に増大しています。それに対して、神は義なる方です、すなわち正しい方です。神の正義は一点の曇りもないです。ですから、人間の罪を憎んでおられます。赦すことができません。しかし、罪びとを愛しておられるのです。罪は赦すことはできない、しかし罪びと赦し救いたい、その矛盾する事柄に筋を通したのが御子キリストの十字架です。罪と悪魔の力から人間を救い出すことができるのは十字架のみです。それは、神が御子を通して成し遂げてくださった贖いの御業です。国家民族、地域社会、家庭、そして個人の中にも、キリストの十字架による罪の赦しは提供されています。それを受け取り、罪の赦しをいただき、隣人を赦し、隣人愛を実践していくことです。

<聖書>創世記37章1~13、18~20、26~28節
37:1 ヤコブは、父が一時滞在していた地、カナンの地に住んでいた。
37:2 これはヤコブの歴史である。ヨセフは十七歳のとき、彼の兄たちと羊の群れを飼っていた。彼はまだ手伝いで、父の妻ビルハの子らやジルパの子らといっしょにいた。ヨセフは彼らの悪いうわさを父に告げた。
37:3 イスラエルは、彼の息子たちのだれよりもヨセフを愛していた。それはヨセフが彼の年寄り子であったからである。それで彼はヨセフに、そでつきの長服を作ってやっていた。
37:4 彼の兄たちは、父が兄弟たちのだれよりも彼を愛しているのを見て、彼を憎み、彼と穏やかに話すことができなかった。
37:5 あるとき、ヨセフは夢を見て、それを兄たちに告げた。すると彼らは、ますます彼を憎むようになった。
37:6 ヨセフは彼らに言った。「どうか私の見たこの夢を聞いてください。
37:7 見ると、私たちは畑で束をたばねていました。すると突然、私の束が立ち上がり、しかもまっすぐに立っているのです。見ると、あなたがたの束が回りに来て、私の束におじぎをしました。」
37:8 兄たちは彼に言った。「おまえは私たちを治める王になろうとするのか。私たちを支配しようとでも言うのか。」こうして彼らは、夢のことや、ことばのことで、彼をますます憎むようになった。
37:9 ヨセフはまた、ほかの夢を見て、それを兄たちに話した。彼は、「また、私は夢を見ましたよ。見ると、太陽と月と十一の星が私を伏し拝んでいるのです」と言った。
37:10 ヨセフが父や兄たちに話したとき、父は彼をしかって言った。「おまえの見た夢は、いったい何なのだ。私や、おまえの母上、兄さんたちが、おまえのところに進み出て、地に伏しておまえを拝むとでも言うのか。」
37:11 兄たちは彼をねたんだが、父はこのことを心に留めていた。
37:12 その後、兄たちはシェケムで父の羊の群れを飼うために出かけて行った。
37:13 それで、イスラエルはヨセフに言った。「おまえの兄さんたちはシェケムで群れを飼っている。さあ、あの人たちのところに使いに行ってもらいたい。」すると答えた。「はい。まいります。」

37:18 彼らは、ヨセフが彼らの近くに来ないうちに、はるかかなたに、彼を見て、彼を殺そうとたくらんだ。
37:19 彼らは互いに言った。「見ろ。あの夢見る者がやって来る。
37:20 さあ、今こそ彼を殺し、どこかの穴に投げ込んで、悪い獣が食い殺したと言おう。そして、あれの夢がどうなるかを見ようではないか。」

37:26 すると、ユダが兄弟たちに言った。「弟を殺し、その血を隠したとて、何の益になろう。
37:27 さあ、ヨセフをイシュマエル人に売ろう。われわれが彼に手をかけてはならない。彼はわれわれの肉親の弟だから。」兄弟たちは彼の言うことを聞き入れた。