山上の説教の結論

2015年3月29日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢 牧師 森田友明

<要約>

今日の7章は、マタイ5章からのイエス様の「山上の説教」といわれる語りのまとめです。イエス様は、語られた言葉を聞いて実践する岩の上に家を建てた賢い人のようになりなさいと勧めています。

十戒は人生のガイドライン

律法の要求は厳しく、人はそれを満たすことができないが、神の前で自分の足りなさを認めて、自分が罪びとであることを認め、へりくだる人こそ神の国の祝福を受けるのです。信じてみ言葉を実行するものでありなさい。信じてもその時だけで、み言葉を聞かない、読まない、守らない人は信じない人と同じで砂の上に建てた建物です。何か試練があると簡単に倒れてしまう。簡単に信仰を失ってしまうというのです。主に信頼し、十戒を喜んで守ることです。神様を第一として、自らを明け渡すことに励むのです。十戒には私たちが生きるための指針がすべて含まれています。神様が十戒をお与えになった理由は、私たちが、十戒の要求にほど遠い存在であることに気づき、自分が罪びとであることを悔いて神の十字架で示された愛を受け入れることなのです。そして、キリストの十字架の贖いにより罪赦されたものとして、十戒を人生のガイドラインとして歩みなさいというのです。

十戒を実行する

みことばを聞いて実行する人になりなさいというのです。みことばを聞いてというのは、御心を知って、行いなさいというのです。端的には、神のみ心である十戒をおこないなさいということです。十戒には構造があり、優先順位があります。第一戒から三戒まで、がベースです。すなわち、神様との関係が優先されているのです。24節にある岩の上に自分の家を建てるというのは、岩は、十戒の第一戒から第三戒であるということができると思います。そこを土台として、第四戒、父と母を敬いなさい、から第五戒、殺してはならない、第六戒、姦淫してはならない、と、隣人との関係に続いていくのです。第五戒の殺してはならないの、奨励は、困っている隣人を助けてあげなさい、という積極的援助です。被災地支援はこの五戒にのっとっています。十戒は、人間のあらゆる罪を指示します。同時に、人間のあらゆる行いの勧めが書かれているのです。
<聖書>マタイの福音書7章24~29節
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神の命につながって生きる

2015年3月22日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢 牧師 森田友明

<要約>

私たちの必要をご存知の主

空の鳥は種蒔きもせず刈り入れもせず蔵に納めることもしません。けれどもあなた方の天の父がこれを養っていて下さっているのです。まして、私たち人間は小鳥たちより優れたものだから神様が心配してくださり、必要は与えてくださるというのです。

主の祈りで、「日ごとの糧を今日も与えてください」と祈ります。日ごとの糧には、食物だけではなく、生きていくためのすべての事が含まれます。それらすべては、神様が備えてくださっているのです。だから心配しなくても良い、しかし、そのために祈り求め、働いてその糧を得なさいと勧めているのです。そして、祈るたびに、神様が日ごとの糧を今日も与えてくださっていることを覚えて感謝するのです。

私たちを高価で尊い者とみてくださる神

神は野にある小さな花にも美しさと価値を与えておられる。ましてや、あなた方を高価で尊い存在としてみてくださっているのです。神はそのひとり子であるイエス様を私たちにくださって十字架に付けることをいとわない程に私たち人間を愛していると聖書は述べています。最初の人アダムの堕落以来、人間は神を見出すことができなくなりました。そこで、神は三つの方法でご自身を私たちに現しておられます。一つは自然界を通して、二つ目は神のことばである聖書を通して、三つ目は、イエス・キリスト、神が人となって私たちの世界に来てくださったことによってです。イエス・キリストは、私たちが一人として滅びないで永遠のいのちを持つために、人類を罪から救うために来てくださったのです。

神の国と神の義を第一としなさい

私たち人間は、心配したからと言って寿命を少しでも伸ばすことはできません。私たちのいのちはどこから来ているのでしょうか。多くの人は、親が偶然出会って生まれたのが自分であると思っています。しかし、聖書はそのような偶然の産物ではないと言明しているのです。私たちの命は創造主なる神から来ています。そして、私たちのいのちは創造主なる神のいのちにつながるとき、私たちのいのちは永遠の命となるのです。なぜなら、神は永遠なるお方だからです。「神の国と神の義を第一とする」というのは、まず、神様との関係をただすということです。そうすれば、すべての生活の要素は秩序立ち神の祝福が及ぶのです。
<聖書>
マタイによる福音書6章25~34節
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先行する神の赦し

2015年3月8日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル牧師 森田友明

<要約>

律法を与えた神の真意

神様のみ思いは、被造物である人間を愛し祝福することです。ですから、十戒は、人が神の祝福受けるためにどうすればよいのかを教えています。今日の「人を殺してはならない」は第五戒にあたります。神様は、殺しという行為だけに言及しているのではありません。心で人を怒り憎しみを抱くことも殺人罪です。心の中の事まで言われたら殺人を犯したことのない人はいません。当時の人々は、十戒の掟を守るために、律法学者を中心に、あれこれ細かく規定しました。しかし、肝腎の神様への恐れ、愛、そして信頼についてはないがしろにしていたのです。私たちもいつの間にか外面的なことに注意が行って、神様への真実で純粋な思いを失っていることがないでしょうか。神様の真意は、私たちが神様から罪によって遠く離れていることとその深刻さ気付かせることです。

先行して人を赦す神

行為としての人殺しは、罪の結果です。行為の前に、殺したいという思いを抱くからです。憎しみは、赦せないという思いです。復讐心といえます。人が人を赦せないというのはすべての人が持っている最も重篤な罪の病です。神がまずキリストにあって私たちを赦してくださった、だからこそ神に赦されたものとして人を赦そうとします。同時に、人を赦そうと決心して実践してはじめて、神に赦されていることを実感するのです。神はすでに十字架の上で罪を赦しを先行して与えてくださっています。すべての人は罪の赦しを無条件でいただくことができるのです。人を赦すことは私たち人間には大変困難なことです。しかし、主の命令は赦しなさいというのです。そこで、私たちは苦しむのです。イエス様の十字架の意味を深く考えるのです。イエス・キリストの十字架の苦難と死は何のためにあったのでしょうか。それは、赦すためです。神からの赦しを受け取った時に、隣人を赦すという奇跡が起こります。それが神の業なのです。

キリストにより神の和解を受け入れる

在宅医療で活躍している森清先生が「自分らしい最後を生きる」という題の本を書きました。その中で、死を目前にした時、最後に過ぎ去った人々、特に家族にもう一度会いたいと願う方々が少なくないそうです。和解を求めているのです。しかし、多くは自分の過去に思いを残して去っていかなければならないのです。同時に、すべての人は、神様との和解を受ける必要があります。そしてそれは、今の時です。聖書の「途中にある間」は、私たちがこの世にいる間にということです。神様は、あなたの過去をすべてご存知で、今の時まであなたを待っておられたのです。家族や知人、その他の人間関係における和解は委ねるしかありません。しかし、神様との和解は今ここに提供されています。イエス様は手を差し伸べて、和解の握手を求めておられます。イエス・キリストの和解の福音を受け入れてください。
<聖書>
マタイによる福音書5章21~26節
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塩気はみことば、光はイエス

2015年3月1日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル牧師 森田友明

<要約>

地の塩と塩気

クリスチャンは塩であり、塩気はみことばであると言えます。クリスチャンは目立たなくても世の中の腐敗を防ぎ、他の人々に影響を与える存在です。塩気を失った塩とは、みことばに立たないクリスチャンといえます。クリスチャンが聖書のみことばに立たなければ、この世のことばに立ちます。そして、世の人々の中に埋没してしまうことです。クリスチャンが塩気を保つことは難しいことではありません。聖書のみことばに立って生活することです。

世界の光とイエス様

「あなた方は世界の光です」とあります。クリスチャンは世界の光だというのです。また、聖書は、イエス様は「世の光」であると教えています。光であるイエス様を持っているので、信じる者は闇の中を歩むことがなく光の中を歩むのです。世の人々は光のように輝いているクリスチャンを見て、その輝きのもとは何だろうと思い、背後の神を見出すようになるのです。

地の塩、世の光となるために

イエス様は、もうすでにあなた方は、地の塩、世の光であると断言しておられるのです。エペソ書によると、「私たちは、以前は、暗闇であり、罪の中に死んでいた」ものです。しかし、私たちの心の闇を光に変えるためにイエス様は来てくださいました。イエス様は、神様と私たちの間を隔絶している罪を取り除いてくださったのです。彼は、私たちの罪を取り除くために罪の刑罰を十字架の上で身代わりとなって受けてくださいました。私たちは、地の塩、世の光となるためには、イエス様を自分の救い主として信じればよいのです。そして、神との関係を正すのです。具体的には、神様を恐れ、愛し、信頼するのです。神を恐れるならば罪から離れようとします。悪から離れようとします。また、神を愛するならば、神の喜ばれることを考え、行います。それは、「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」という言葉に集約されるでしょう。神を信頼していれば、苦しいことやマイナスと思えることにあっても喜んでいられます。神様との関係が正されると、あなたの光は輝きます。塩は塩気を取り戻し、あなたは世の中に良い影響を及ぼしていくのです。
<聖書>
マタイによる福音書5章13~16節

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