五千人の給食といのちのパン

2015年2月8日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル牧師 森田友明

<要約>

群衆をあわれむイエス様:イエス様は、群衆を前に病をいやし、神の国のことを教えておられました。群衆はイエス様の奇跡を見てついて来たのです。彼らの動機は何であれ、イエス様は飼い主のいない子羊のような有様を深くあわれみました。イエス様の御思い、わたしたちへの愛とあわれみです。

五千人の給食:夕暮れになって、弟子たちはイエス様に群衆を解散させるように言いました。しかし、イエス様は、ピリポを試して「どこからパンを買ってきて彼らに食べさせようか」というのです。彼はイエス様の真意を洞察することができませんでしたが、アンデレは、大麦のパンを五つと小さい魚を二匹持った少年をイエス様のところへ連れてきたのです。イエス様は、人々を草の上に座らせ、パンと魚をとり感謝をささげて分け与えられました。人々は欲しいだけ食べて満腹になりました。余ったパンきれは十二のかごいっぱいになったのです。わずかな物が有り余る豊かさとなるというのが、神の国で起こることです。ピリポは人間の理性で考え、不可能という結論を出しました。しかし、アンデレはイエス様が何とかしてくださるという信仰で、イエス様のもとに持ってきたのです。

いのちのパン:群衆は食物が与えられたことで満足し、イエス様の奇跡の本当の意味を知ろうとしませんでした。衣食住のために働いても、肉体のいのちは保たれますが、いずれは終わりの時が来ます。しかし、真のいのちは永遠のいのちであり神が与えるいのちです。その永遠のいのちはイエス・キリストを信じることです。人間は他の動物とは違って、食べるためだけでなく、家族のため、社会のため、人々のために働いています。しかし、それだけでは魂に真の充足はこないのです。なぜなら、人間の魂の中心には創造主しか埋められない空洞があるから。ちょうど、パズルのピースが欠落してジグソーパズルを完成できないのと同じに、人間の魂はいのちの充足を求めています。イエス様は、その失われたピースを与え完成してくださるのです。その失われたピースこそ神のいのち、永遠のいのちなのです。
<聖書>
ヨハネによる福音書6章1~13節、26,27,35節
続きを読む 五千人の給食といのちのパン

安息日は自由の律法

2015年2月1日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル牧師 森田友明

<要約>

安息日の意味:イスラエルの民がエジプトでの奴隷生活から解放されて自由となった証として、また、神が世界を6日で創造して7日目に休まれたことの記念として、神は安息日を聖なる日と定められました。キリスト教では日曜日を区別して神を礼拝する日としております。これは、全世界の及んでいるルールないし秩序となっています。

安息日を守る効用:週に一日休む、あるいは普段の仕事とは別のことをするというのは、人間の生活リズムにあっています。安息日を守ることで、イスラエルの民は神の民のアイデンティティーを取り戻しました。私たちクリスチャンも安息日を守ることにより、信仰が守られて、神の民としての生活が整えられるのです。

安息日の誤用:安息日は人間のために設けられました。「仕事をしてはいけない」ということから、律法学者たちは、様々な規則を作りついにはそれらは規則のために規則となって自由を奪い人間を束縛してしましました。そこで、イエス様は、愛とあわれみが優先することを示されました。安息日に病人を癒してあげました。

安息日は自由の律法:神の前で、自分は正しい、自分には罪がないと主張することを自己義認といいます。それは、神に心を閉ざしていることです。私たちもそのような過ちに陥りやすいのです。心が自分に向いていて、神に向いていないのです。安息日は、自由を与えられたものたちが、喜んで感謝してなお、神様を慕い求めて礼拝に集うのです。神は毎週私たちを天国の祝宴に招いてくださっているのです。
<聖書>
マタイによる福音書12章1~14節
続きを読む 安息日は自由の律法