救いの喜び

2014年12月21日(日) 主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>

「今日、ダビデの町に、救い主がお生まれになりました。」歴史を紀元前と後に分ける最大の出来事をはじめに知ったのは羊飼いたちでした。いつもと同じ静かな夜、突然、御使いが現れ、不思議な光が彼らを包んだのです。彼らはひどく恐れたと書いてあります。当時、羊飼いたちは最も貧しい人々でした。夢や希望を持つことのできない人たちでした。社会でもっとも底辺にいる人々ところに喜びの知らせが届いたのです。それはすなわち、すべての人に与えられた喜びの知らせだということです。これがクリスマスです。将来に、希望を見出すことができずに、その日を過ごしている方々も多くいます。イエス様はそのような闇の中で沈んでいる人々に光となって来てくださったのです。やがて、イエス様は十字架にかけられる時が来たにもかかわらず、内に喜びを持っていました。この喜びは、困難や試練があっても決して奪い去ることのできない喜びです。クリスチャンにはこの喜びが与えられています。迫害があっても、死に瀕していても、しぼむことのない救いの喜びです。羊飼いたちは、天使のことばに促されて、救い主をベツレヘムに見に行きました。急いで行って、彼らは家畜小屋を次々に見て回ったでしょう。ついに、キリストとお会いしたのです。救い主との出会いは人を変えます。羊飼いたちは喜びで満たされ、救いの喜びで神を賛美しました。羊飼いとその場にいた人々は、神の子救い主を礼拝したのです。その後、イエス様は成長して、両親に仕え、おおよそ30歳になって公生涯に入られました。約3年半の間イスラエルの諸地方を歩かれて、福音をのべ伝えられました。イエス様は人々を愛されました。イエス様はよく赦されました。喜んで人を助けました。イエス様は、人のかたちをとられた真の神でした。その後、すべての人の罪をあがなうために身代わりとなって十字架で命を落としてくださいました。そればかりでなく、人類の最後の敵である死を打ち破り、三日目に復活なさいました。目には見えませんが、今も私たちとともにおられて、罪を赦し永遠のいのちをお与えくださるのです。クリスマスは私たちが救い主イエス・キリストと出会う日です。
<聖書>
ルカによる福音書2章8~20節
続きを読む 救いの喜び

小さな大いなるプレゼント

2014年12月14日(日) 主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>

全世界の住民登録の勅令がローマ皇帝アウグストによって発令され、人口調査がありました。ミカ書にある「メシヤはベツレヘムで生まれる」という預言が成就するために、神は皇帝アウグストを動かし、勅令によりマリヤとヨセフをベツレヘムに向かわせたのです。神が歴史を動かしておられるのです。マリヤとヨセフはダビデの町ベツレヘムへ到着しましたが、居場所がなかったのです。真の救い主は世から拒絶されました。ユダヤ人たちは政治的救い主を期待していました。しかし、神は小さくて弱い赤子の姿で、罪からの救い主を世に送ってくださいました。私たちは、社会の政治や経済、環境や境遇に目を留めています。しかし、神が取り扱おうとしているのは、罪の問題です。根源的に私たち人間を苦しめている罪。神は罪に苦しむ人間を放っておくことができずにイエス・キリストをお与えくださったのです。

「神はそのひとり子をお与えになるほど世を愛された。それは御子を信じるものが一人として滅びることなく永遠の命を持つためである。」(ヨハネ3:16)

ひとり子をお与えになったというのはどういう意味でしょうか。それは、ひとり子であるキリストが私たち人間の罪の報酬である死を十字架の上で身代わりとなって受けてくださったことです。私たちをむしばんでいる癌、すなわち罪によって永遠の滅びにいたることのないように、罪を取り除き、いのちを与えてくださった。イエス様は神の人類への最高のプレゼントです。教会以外に罪の赦しを与えてもらえる場所はどこにもありません。教会に来て罪の赦しを得て、永遠のいのちをいただきましょう。
<聖書>
ルカによる福音書2章1~7節、ヨハネによる福音書3章16節
続きを読む 小さな大いなるプレゼント

インマヌエル主がともにおられる

2014年12月7日(日) 主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>
マリヤはヨセフの妻と決まっていましたが、まだ同居する前に身ごもりました。ヨセフは悩み、祈りへと導きかれました。悩み、苦しみ、熟慮した末に、マリヤを辱めることはしないで、内密に離縁しようと決めたのです。その時に、夢の中で天使を通して神のみことばが与えらました。「マリヤの胎に宿っているものは聖霊によるのです。」ヨセフは信仰によってすべてを受け止めました。この後、ヨセフは、様々な困難や苦難を負いました。私たちの人生においても、出生の時から、様々な試練や苦しいことがあります。人生は乗り越えていかなければならない問題の連続です。ヨセフは、問題にぶつかるたびに夢の中で与えられたイザヤの預言を思い出していたと思います。「インマヌエル、主がともにおられる」。クリスマスは、インマヌエルであるイエス様がすべての人に提供されたということです。信じる人には「主がともにおられる」約束が与えられ、あらゆる問題や苦難をも超えて行けるのです。また、ヨセフが大きな責任を負ったと同様に、私たちもイエスさまを信じて従っていくときに責任を負います。私たちはイエス様の御名前に恥じない生き方をすることです。まだ、救われていない私たちの家族や知人に福音を伝えましょう。その責任を私たちが負っています。御心が地上で行われるためには、サタンと世と私たち自身の罪の性質と戦わなければなりません。神の御子と共に生きる生活は、それらにあって、圧倒的な勝利者となるのです。「インマヌエル。主がともにおられる」からです。
<聖書>
マタイの福音書1章18~25節
続きを読む インマヌエル主がともにおられる