神との出会い、人生の変革

2014年10月19日(日) 主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>
イエス様は、ガリラヤ地方で宣教を開始されました。ある朝、群衆が押し迫るように来たので、イエス様は漁を終えて網を洗っていたペテロを見つけ、彼の船に乗って、湖岸から離れたところから群衆に教えられた。ペテロも船の中で、お話を聞いていました。前夜の漁で何一つ取れなかったことに無力感、敗北感、そして、疲労を覚えていたことでしょう。ガリラヤ地方は、イザヤ書の預言で、霊的な暗黒の地でありました。お話が終わるとイエス様は、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われました。ペテロは、夜どおし働いても一つもとれませんでしたが、「でもおことばどおり」と言って従ったのです。「その通りにすると」たくさんの魚が入り、網が破れそうになったのです。人間の経験や常識では推し量ることができない神のわざが起こったのです。ペテロは主の足元にひれ伏しました。神の聖さに触れて、自分の罪が鏡のように映しだされるのです。ペテロは圧倒的な神の力を経験したのです。ここで初めて、彼は、自分の心の王座に、イエス様に座っていただいたのです。これが、神との関係が正される瞬間です。クリスチャンは心の王座にイエス様に座っていただいて、自分はその足元にひれ伏すのです。これが、聖書が教える神と人間の正しい関係です。かくして、ペテロは神との本当の出会いを経験し、何もかも捨ててイエス様に従ったのです。「あなたは人間を取るようになるのです。」ペテロはこのあと何度も人間としての弱さのゆえに失敗しました。しかし、イエス様の信頼のまなざしにより立ち直り、真の人間を取る漁師となったのです。イエス様のまなざしは変わることがありません。赦しと信頼のまなざしなのです。私たちもイエス様を真の主として信頼し続けていきましょう。
<聖書>
ルカによる福音書5章1~11節
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神のギフト、ナタナエル

2014年10月12日(日) 主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>

イエス様の弟子となったピリポは同郷のナタナエルに、「来て、そして見なさい」と勧めました。ナタナエルはイエス様に会いました。イエス様は、彼がイチジクの木に下にいたのを見たと言われたことから、ナタナエルはイエス様が自分のことを知っていたことに驚き、「あなたは神の子です。イスラエルの王です。」と告白しました。かれはイチジクの木の下で、聖書を読んで祈り、メシヤが来られることを期待して、黙想していたのです。その彼の真摯に神を求める姿をイエス様は見て感心したのです。当時イスラエル民族は国をローマの圧政から解放してくれるメシヤを望んでいました。ナタナエルはイエス様にそれを期待しました。しかし、ナタナエルを含む弟子たちの期待とは、違ったかたちでイエス様は、ご自身を表されました。イエス様は、人類の救いのために来られたからです。罪の束縛に苦しむ人間に根本的な解決を与えるために来られたからです。イエス様は神であるのに権力者、支配者として来ませんでした。むしろ、しもべの姿で来られたのです。父なる神に従う従順のしもべとして、来られたのです。罪人の友となり、悲しむ者と共に悲しみ、泣く者と共に泣き病気を担い共に苦しまれたのです。イエス様は、裁き以外何も受ける資格のない私たちのために身代わりとなって、十字架で死んで私たちの罪を取り除いてくださいました。さらに復活して、天国への道となってくださったのです。イエス様によって、神との正しい関係に入るのです。
<聖書>
ヨハネ1章43~51節
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自分中心からキリスト中心の人生へ

2014年10月5日(日) 主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<要約>

ヨハネはイエス様を指して、「世の罪を取り除く神の子羊」といいました。そのことばを受けて、アンデレともう一人の弟子はイエス様についていきました。この短い言葉の中に、イエス様が成し遂げようとされている使命が表されています。世の罪とはなんでしょう。世の罪、それは世の中のすべての人が持っている罪です。人間はあるべき姿から大きく外れています。その第一は、神との関係が壊れていることです。人の最大の罪は、父である神を認めないということです。親子関係でも子どもが親を認めていないとしたら、親はどんなに悲しくて、苦しいでしょうか。聖書は、すべての人は、生まれながら神と敵対して歩んでいると言います。そのことにより、神のいのちと切り離されており、滅びへ向かっているのです。突き詰めれば人間は神より自分を優先するところから始まり、ついには、自分を中心に物事を考えるようになりました。ヨハネの二人の弟子は、イエス様が誰なのか知りたくてイエス様を尋ねました。「ついて来なさい、そうすればわかります」との招きにこたえ、イエス様は主、メシヤ、救い主であると確信したのです。私たちは何を求めて教会に来ているのでしょうか。イエス様を求めましょう。イエス様は私たちの罪を除き救うために来られました。アンデレはじめ弟子たちは、自分より神を優先したことにより使命が与えられました。私たちもイエス様を主として使命に生きましょう。
<聖書>
ヨハネの福音書1章35~42節
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